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8/30から9/5までの天声人語訳文 [复制链接]

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离线jianxiong
只看该作者 30楼 发表于: 2004-09-05

040904《天声人語》俄罗斯人质事件

 裸の子供の姿が画面に映る。その前に、迷彩を施した大きな装甲車がある。銃を構えた兵士が走る。また子供が逃げて来る。赤裸の子供と兵器という、限りなく似つかわしくない取り合わせの映像が延々と続いた。

赤身裸体的儿童出现在画面上。前面,是涂了迷彩色的大装甲车。端着枪的士兵跑动着。还有儿童在逃过来。赤裸的儿童和武器,这样极不协调的组合的图像无休止地延续着。

 ロシア南部の北オセチア共和国での学校占拠事件は、昨日大きく動いた。爆発音や銃声がとどろき、子供たちが巻き込まれた「戦場」の光景に、ベトナムの戦場で撮られた一枚の写真を思い浮かべた。

俄罗斯南部的北奥塞梯共和国的占据学校事件,昨天风云突变。在爆炸声、枪声轰鸣,许多孩子被卷入其中的“战场”情景下,一张摄于越南战场上的照片浮上了我的脑海。

 画面の中央付近に、裸の少女がいる。道路の上でこちらを向き、手を斜め下におろし、泣いている。周りには少年や少女がいる。向こうに、爆撃による黒煙が上がっている。裸の少女たちは、戦禍から一歩でも逃れようとしている。ピュリツァー賞を受けた、ニック・ウット氏によるベトナムの子らの姿だ。

靠近画面的中央,有一个赤身裸体的小女孩。在大路上朝这边走来,两手向下斜斜地张开,哭着。周围还有一些男孩和女孩。身后,爆炸造成的黑烟冲天而起。赤身裸体的女孩子们正拼命地要从战祸中逃离出来。这是曾获普利彻奖的,尼克-伍特所摄的越南孩子们的形象。

 昨年、精神科医で作家の、なだいなださんが、ロシアの革命家だったロープシンの著書「蒼ざめた馬」に触れながら書いていた。「テロリストは、爆弾を投げようとした大公の馬車に、子どもたちが同乗しているのを見て、決行を思いとどまる。しかし今のテロにも、対テロ戦争にも、そのような人間性はない」

去年,精神科医生兼作家的名田稲田先生曾在文章中提及俄罗斯的革命家鲁普辛的著作《发青的马》,他写道,“恐怖分子刚要向大公的马车里投掷炸弹,发现同乘一车的还有几个孩子,于是就放弃了行动。但是,如今的恐怖活动也好,反恐战争也罢,都没有了这样的人性”。

 飛行機で地下鉄で、無差別の爆破テロがロシアで続いた。その(きわ)みのように悲惨な、学校占拠事件の結末だ。昨日の戦闘の経緯は、よく分からない。しかし、子供を狙うテロの非道は言語道断(ごんごどうだん)だ。

飞机上、地铁里,在俄罗斯不分青红皂白的恐怖性爆炸接连不断。而占据学校事件的结局仿佛将其惨烈推到了极至。昨天的战斗的经过还不十分清楚。但是,针对孩子的恐怖分子的不人道行为简直是丧尽天良。

 無差別の殺戮(さつりく)は、ロシア以外でも続いている。子供たちだけは、武器、兵器から引き離す。そんな最低限の「人間性」を願うことすらできないのだろうか。

不分对象的杀戮在俄罗斯以外的地方也仍然持续着。至少要让孩子远离武器旁。难道提一个那么最低限度的“人性化”的要求也不行吗?

相关链接:

http://www.omoshirocanada.com/life5.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4002600548

求助:「ロープシン」的中文资料。

离线jianxiong
只看该作者 31楼 发表于: 2004-09-06

040905《天声人語》孩子们的苦难

 20世紀の舞踊界に衝撃をもたらし、モダンダンスの祖ともいわれるイサドラ・ダンカンだが、こんな一文が彼女の言葉として残っている。「子どもたちが苦しむことを許しているかぎり、この世界に本当の愛は存在しない」

给20世纪的舞蹈界以冲击,人称现代舞鼻祖的伊莎多拉-邓肯,有这样一句话流传下来。“只要还对孩子们的苦难熟视无睹,这个世界就不存在真正的爱”。

 

ロシア南部の北オセチア共和国で起きた学校占拠事件で大勢の子どもたちが犠牲になった。負傷し、また心に深い傷を負った子どもたちもたくさんいるだろう。2人の子どもを一度に失ったダンカンの悲嘆ぶりがよみがえる。

在俄罗斯南部的北奥塞梯共和国发生的占据学校事件中很多孩子成了牺牲品。受伤、以及心灵受到严重创伤的孩子也很多吧。曾一下子失去了两个孩子的邓肯那悲痛欲绝的神情又呈现出来了。

 

彼女は霊的な直感にしばしば襲われた。1913年1月、ロシアに公演旅行をしたときだった。そりでホテルに向かう途中、柩(ひつぎ)が2列になって進んでいくのを見た。「ご覧なさいよ。みんな子供よ、みんな子供が死んだんだわ」。幻覚だった。その夜、彼女は突然思い立ってショパンの葬送行進曲を伴奏に踊った。

她常常受道神秘的直觉的侵扰。1913年1月,在俄罗斯进行旅行演出时,就在坐雪橇去旅馆的途中,她看到有两排棺材在行进中。“看哪。都是孩子啊,都是死了的孩子啊”。那是幻觉。当天夜里,她突然心血来潮,选了肖邦的《葬礼进行曲》为伴奏,翩翩起舞。

 

それから3カ月後、彼女の子ども、まだ10歳にもならない息子と娘は、車もろともパリのセーヌ川に落ち、死んだ。彼女の人生はそのとき二つに切り裂かれた。自身、生死の境をさまよった。「真実の悲しみに会うと、われわれは言葉で表わす術を知らないし、かといって動作で表わすことも出来ない」(『わが生涯』冨山房)

3个月之后,她的孩子,还不到10岁的儿子和女儿,连人带车摔到了巴黎的塞纳里,死了。从此她的人生被割裂为二半。自己也在生死之界徘徊。“遭受到真正的悲伤,我们不知道如何来用语言表达,甚至不能用动作来表达”(《我的生涯》富山房)。

 

あの日、子どもたちを外出させなければよかった、とダンカンは悔やみ続けた。北オセチアの遺族も「自分に何かできたのではないか」と悔やみ続けるだろう。悲しみが解けることはあるまい。

那一天,要是不让孩子们外出就好了,邓肯一直后悔不已。北奥塞梯的遗族们大概也在后悔,“我们自己就不能做些什么吗?”。然而,悲痛是无法消解的。

 

「子どもたちが苦しむこと」を、あのように許してしまった世界の理不尽さに、しばし立ちすくむ。

对“孩子们的苦难”那么熟视无睹的这个世界是如此的野蛮无理,一时叫人惊恐莫名。

离线jianxiong
只看该作者 32楼 发表于: 2004-09-06

040906《天声人語》台风

 東京は、ものごとを大げさに言うところだと思った。ちょっと強い風が吹くとすぐ暴風だと言って騒ぐ。かつて随筆でそう書いたのは、沖縄出身の詩人山之口貘(ばく)だ。

东京人就喜欢大惊小怪。只要一刮稍大一点的风,就嚷嚷成暴风,闹得人心惶惶。冲绳出生的诗人山之口貘曾在随笔中这么写道。

 沖縄では台風が来れば風速50メートルは当たり前で、しかも3日も4日も家に閉じこめられる。そう書きながら彼は、棒と麻縄で雨戸を補強する父の手伝いをした思い出を記した(「暴風への郷愁」)。慣れているとはいえ、今年のようにたびたび襲われるとさすがに大変だろう。

在冲绳,台风一来,50米的风速是家常便饭,并且接连三四天被堵在家里无法出门。除此以外,他还记述了给用木棒和麻绳加固防雨窗的父亲打下手的回忆(《对暴风的乡愁》)。虽然在当地对台风已是习以为常了,但像今年这样频频地遭受侵袭也很够呛吧。

 米国でいえば、毎年のようにハリケーンの標的になってきたフロリダ州にあたる。台風と同じように、今年はハリケーンの発生が例年よりかなり多いらしい。「フロリダにとって不運な年」といわれている。

要说在美国,那就要数每年都成为飓风攻击目标的佛罗里达州了。与台风一样,今年的飓风似乎也多于往年。有人说今年是“佛罗里达的倒霉年”。

 最近では、史上最大の被害をもたらした92年の「アンドルー」が記憶に新しい。多くの人が家を失い、廃虚同然になった町もあった。被害総額は250億ドルとされる。大統領選挙の年で、今の大統領の父、ブッシュ氏の対応が遅れ、再選失敗にも影響を与えたという説も出たほどだ。

对在近年内造成历史上最大灾难的92年的“阿杜儿”,人们记忆犹新。许多人流离失所,有的城镇竟然形同废虚。受损总额高达250亿美元。那一年正是总统大选之年。当时甚至流传着这样的说法,现在的总统的老爸——老布什就是因抗灾措施不及时,导致了竞选连任的失败。

 週末から影響が出ている「フランシス」も強いハリケーンだ。「アンドルーの悪夢」を思い出している人も多いだろう。避難命令が出ているなか、シャンパンを抜いて「ハリケーンパーティー」を開く人たちを地元紙が紹介していた。恐怖を和らげるためだという。

从上周末开始造成影响的“弗朗西斯”也是强飓风。想必有很多人回忆起“阿杜尔的恶梦”来了吧。据当地报纸的介绍,避难的命令发出后,有人打开香槟,开起了“飓风派对”,说是为了冲淡一下恐怖气氛。

 大型で非常に強い台風18号も猛威をふるい始めた。台風に襲われるというより、頑丈につくられた沖縄の家が「暴風雨に挑みかかるのだ」と山之口は表現した。その強さで嵐を切り抜けてほしい。

大规模的超强台风“18”号也开始滥施淫威了。用山之口的说法来讲,不是遭受台风的袭击,是牢固结实的冲绳民居在“向台风挑战”。希望这种强韧能战胜急风暴雨。

离线鱼鱼
只看该作者 33楼 发表于: 2004-09-06
Jianxiongさん すごいですね!
秋中初咽,忆离日匆匆,光阴何急?
奔波本是意中事,又哪堪难见易别。
今看残叶,两三风声,一片明月;
仗生平壮怀烈烈,黲十年长剑,心豪人杰
万里征程,区区笑马还越!
昆仑纵有千丈雪,我亦誓把昆仑截!
离线jianxiong
只看该作者 34楼 发表于: 2004-09-07

どうも有り難う。

その代わりに、皆さんの指摘を楽しみにしています。

离线mixmaxmin
只看该作者 35楼 发表于: 2004-09-15

社屋が焼失した東京の記者は惨状を伝えるため次々大阪に向かった。車で出発した3人は、橋が落ちていた相模川を泳いで渡った。あとは徒歩である。「君は速く歩きすぎるよ」「弥次喜多じゃあるまいし、急ぐのは当たり前じゃないか」。空腹と疲れで口論しながらの旅だった。途中から汽車に乗り、4日朝、大阪朝日に着いた。持参した写真は号外に掲載された。

公司被烧掉的东京的记者由于要报道惨状陆续来到了大阪。坐车出发的3人,落入桥下,游泳渡过了相模河。然后步行。;你的速度太快了;;又不是弥次多喜,用的着那么快吗?;。旅途中饥饿,劳累以及不停地争论。途中乘上了车,天后的早晨,到了大阪朝日。带去的照片被刊登在了号外上。

我认为译文应该是:

公司被烧掉的东京的记者为了惨状的报道陆续来到了大阪。坐车出发的3人,游泳渡过了大桥损坏的相模河。然后步行。“你的速度太快了”“又不是弥次喜多,快不是应该的吗?”。是一个以饥饿,劳累而不停争论的旅途。在途中他们乘上了火车,4日早晨到了大阪朝日。带去的照片被刊登在了号外上。


[align=right]if you haven't changed your mind
そばにいてほしいよ tonight
強がることに疲れたの
幼すぎたの
every time i think about you baby
今なら言える i miss you
it's so hard to say i'm sorry[/align]
离线鱼鱼
只看该作者 36楼 发表于: 2004-09-16
“社屋が焼失した東京の記者は惨状を伝えるため次々大阪に向かった。車で出発した3人は、橋が落ちていた相模川を泳いで渡った。あとは徒歩である。”这一段我认为是mixmaxmin的正确。。“「君は速く歩きすぎるよ」「弥次喜多じゃあるまいし、急ぐのは当たり前じゃないか」。空腹と疲れで口論しながらの旅だった。途中から汽車に乗り、4日朝、大阪朝日に着いた。持参した写真は号外に掲載された。” 这一段我就比较倾向于原来的译文。请参考!
秋中初咽,忆离日匆匆,光阴何急?
奔波本是意中事,又哪堪难见易别。
今看残叶,两三风声,一片明月;
仗生平壮怀烈烈,黲十年长剑,心豪人杰
万里征程,区区笑马还越!
昆仑纵有千丈雪,我亦誓把昆仑截!
离线malu2013

只看该作者 37楼 发表于: 2013-11-08
这是一种世间的无奈吧,在秋日里轻轻绽放。看那一花一草,也是彼此就这样依偎,不要许诺,只是一日一日陪着吧。