神戸市中央区の公園にある「1・17希望の灯(あか)り」は、阪神大震災の犠牲者を追悼するためにつくられたガス灯だ。白木利周(としひろ)さん(64)は、灯りの管理をするNPO法人の理事を務めている。
神户市中央区的公园里的“1.17希望之灯”,是为了悼念在阪神大地震中的死去的人而设立的燃气灯。64岁的白木利周,担任着管理这盏灯的NPO法人的理事。
いろいろな行事の際に、火を分けてほしいと言ってくる人がいる。先月3日の夕方、須磨海岸の水の安全を祈願するため、婦人会の人たちが火を採りに来た。近くに自家用車をとめて分灯に立ち会った白木さんが30分後、車に戻ったところ、助手席の窓ガラスが割られ、置いてあったリュックサックがなくなっていた。長男の健介さんが使っていたものだ。
在举行各种节日活动时,很多人希望分得火种。上个月3号傍晚,为了祈求须磨海岸的安全,妇女协会的人们来取火种。把自己的车停在附近和他们一同来取火种的白木,30分钟后刚回到车上,就发现副座位的玻璃被打破,并且放在那里的背包也没有了。那是大儿子健介用过的包。
「明日、6時に起こして」。それが最後の言葉になった。プレハブの自室がブロック塀に押しつぶされ、下敷きになった。21歳だった。
“明天,6点叫我起床”,成了儿子最后的一句话。(由于地震)自己布置的房间被坍塌的墙块儿押垮,健介也被押在了下面,他当时仅仅21岁。
妻は泣き続け、自分も長いトンネルの中にいるようだった。立ち直りの兆しが見えたのは4年後。各地につくられた慰霊碑を回る活動に、夫婦で参加するようになった。
妻子为此泪流不止,自己好像站在没有尽头的隧道中一样。妻子看上去稍有恢复是在4年后。夫妇俩开始一起参加各地组织的围绕慰灵碑的活动。
以来、形見のリュックを背負う白木さんの姿が国内外の被災地で見られるようになった。ボランティア活動をしたり、義援金を届けたり。妻は再び体調を崩し、01年に亡くなったが、白木さんの活動はやむことなく続いた。
此后,在国内外的受灾地都可以看到背着背包的白木,他们或参加志愿者活动、或捐款。妻子再次病倒,于01年去世了。但白木的活动依然没有停止。
「息子と一緒にいる安心感があった」という、黒い古ぼけたリュックには、金目のものは入っていなかった。テニスが好きだった健介さんが自分で買った。「WIMBLEDON(ウィンブルドン)」のロゴが入っている。「どこかに捨てられているのでしょう。何としてでも見つけ出したい」。白木さんはそう話した。
说是“有和儿子在一起的那种安心”的破旧的黑色背包里,并没有值钱的东西。上面有“WIMBLEDON”的商标。这是喜欢打网球的健介自己买的。白木说,“可能丢到什么地方了,无论如何我一定要找到它”。