長い一生に、なんとなく、退屈だなぁと想ってしまうときは、じっくり考えてみれば、実に、恐ろしいほど、長いことが気付けます。それでも、一人きりになると、思わず、タイムマシンに乗せられたように、昔ことに陥ってしまう。
「あの日のあの時に、一緒にはしゃいでた友達は何をやっているかな?またはあの魂のどん底にしまっておいた、忘れられない人のことも気になる。あの時、俺かっこよかったよ、会社も、周りの人間も、いろいろとほめてもらったもん、もう、一度あの時に戻ったら、、、」と妄想に任せたりして。でも、ふっと目が覚めると、やっぱり、俺、ひとりっぽちだ、ときは経ったよなと、なんと、物寂しいだね。
過去って奴、実に不思議な物だね。形も、影もないのに、常に、思い掛けないところから、人を昔の記憶に誘い込んで、陶酔させてから、またいきなり、容赦なく冷やしてしまう。それでも、それなのに、まったくけしからんだと心から叫びだそうになっても、過去を懐かしく、引きずらせてしまうんだ。われわれ人間は自分を万物の主宰と自負しているのにかかわらず、過去の前で、あまりにも、無力さを感じざるを得ない。
仏教の言葉で解釈すると、「心魔」ということになる。形をしていて、回りに物理的に存在する生き物との戦いよりは、自分自身、いや、自分の中に潜んでいる心魔との勝負ははるかに険しいである。
「どうしよ、怖いんだよ、おれにはできないんだよ」「今、退屈だ、やっぱり昔がいいな」と、想った時に、すでに、あの見えない敵から出した挑戦状を受けたかもしれない。
[本贴已被 zhoufan 于 2004-1-10 3:26:02 修改过][/COLOR][/ALIGN]