以下是引用心のふるさと在2006-8-16 17:08:05的发言:
今天这个论坛怎么啦?中午1点多,我把自己的翻译贴上了,是另开一帖的,因为当时不见这个帖子,以为还没人翻译过.结果,我的译文也没显示.我没保存译文,因为是在论坛里边译边打字的.
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1945年の、第二次大戦の終結に至る道のりをたどる。1月・米軍がフィリピンのルソン島に上陸、2月・連合軍が独の古都ドレスデンを空襲、3月・東京大空襲。4月・米軍が沖縄本島へ上陸、ムソリーニが殺されヒトラーが自殺する。
(让我们)回顾一下第二次世界大战结束前1945年的进程。1月,美军在菲律宾吕宋岛登陆;2月,联军空袭德国古都德雷斯顿;3月,東京大空袭;4月,美軍登陆沖縄本島,墨索里尼被杀,希特勒自杀。
5月・ドイツが無条件降伏、6月・天皇臨席の最高戦争指導会議で本土決戦の方針採択。7月・ポツダム宣言発表、鈴木貫太郎首相が宣言の「黙殺」を表明。8月・広島、長崎に原爆投下、ポツダム宣言受諾を決定。15日に天皇の「玉音放送」があり大戦が終わった。
5月,德国无条件投降;6月,在天皇出席的最高战争指导会议上日本采取了本土决战的方针;7月,发表坡茨坦宣言,鈴木貫太郎首相表明无视坡茨坦宣言(的立场);8月,広島、長崎遭受原子弹空投,日本决定接受坡茨坦宣言。15日,播放天皇的原声御旨,
第二次世界大战终结。
ここに記したのは、大戦の後期の動きの、ほんの一部だけだ。他にも日本では多くの人々が空襲で命を奪われた。そしてアジアや世界には、終結に至るまでに犠牲になったおびただしい人たちがいた。
这里记录的只是第二次世界大战后期的极少一部分纪事。此外,在日本,还有很多人在空袭中丧命;在亚洲乃至世界,至二战结束止,更有成千上万的人牺牲了。
日本の近隣国には、日本の侵略で町や村を戦場にされ、肉親を殺され、家を焼かれた人たちが今も暮らしている。時がたって心がしずまったとしても、忘れることはできないだろう。まして加害国の側が忘れたかのように振る舞うのは許せないはずだ。立場を逆にして考えてみれば分かることだ。
在日本的邻国,至今仍生活着这样的人们,因日本的侵略他们的街区、村落成为战场,骨肉亲人被杀害,家园宅门被烧毁。也许随着日子的推移,他们的心情平静了,但忘却是不可能的吧。应该更不会原谅加害国方面似乎将之遗忘了的举止吧。这是换个立场思维一下就可以理解的事情。
小泉首相が終戦の日に靖国神社を参拝した。相変わらず「心の問題」を持ち出した。自分の心は大事にしても、自国が被害を及ぼした国の人の心には思いが及ばないらしい。日本国民を代表する立場にあるはずなのに、狭量さが目につく。
小泉首相于二戦结束纪念日参拜靖国神社。仍是搬出“心意”之理由。好象是以自己的心情为重,并没顾及遭受自己国家侵害的其他国家人民的心情。他应该是代表日本国民的立场,但其气量狭小却是显而易见的。
この世には、100年たっても忘れられないことがある——。そのくらいの度量でことにあたるのを望むのは、無いものねだりなのだろうか。
世间有历经100年也无法忘却的事情。以这样的气度想要成就事业,就象强求不存在的东西一样吧。
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东西在这,只是这个论坛不适合谈论铭感问题,谢谢。希望大家能够理解。
[此贴子已经被作者于2006-8-16 20:17:21编辑过]