论坛风格切换切换到宽版
  • 1112阅读
  • 6回复

[单词问题]「言う」的可能型是不是还有「いわれる」的用法? [复制链接]

上一主题 下一主题
离线penguin
 

只看楼主 倒序阅读 使用道具 楼主  发表于: 2008-09-13
如题,除了「言える」之外,是不是还说成「言われる」?
离线narutonaruto

只看该作者 沙发  发表于: 2008-09-13
回复:「言う」的可能型是不是还有「いわれる」的用法?
是的,五段动词未然形+れる构成可能态,例如;
百円で買われる。
1百元就能买到
欢迎光临我的淘宝小店 http://shop35238793.taobao.com/
全部是个人的闲置dd,希望对其他人有用。
免费提供英文,韩文短句,单词翻译服务。
离线penguin

只看该作者 板凳  发表于: 2008-09-13
回复:「言う」的可能型是不是还有「いわれる」的用法?
未然形和れ一般都缩音为相应的一个え段词,为什么还有 言われる、買われる等这种用法存在?哪种常用?
离线fucunfang
只看该作者 地板  发表于: 2008-09-13
回复:「言う」的可能型是不是还有「いわれる」的用法?
一般动词的未然性接助动词れる、られる都具有表可能的功能;并非所有动词接助动词都发生音变,实际上像“言える”这样的音变属于少数,记住就行了,并没规律可循。
离线fucunfang
只看该作者 4楼 发表于: 2008-09-13
回复: 「言う」的可能型是不是还有「いわれる」的用法?
原帖由 penguin 于 2008-9-13 18:34:00 发表 未然形和れ一般都缩音为相应的一个え段词,为什么还有 言われる、買われる等这种用法存在?哪种常用?


言える、買える常用。不仅五段、一段动词的音变实际应用已经很普遍,如:食べれる、見れる等,但语言界似乎并未予与认可,存在争论。
离线narutonaruto

只看该作者 5楼 发表于: 2008-09-14
回复: 「言う」的可能型是不是还有「いわれる」的用法?
原帖由 fucunfang 于 2008-9-13 22:36:00 发表 [quote] 原帖由 penguin 于 2008-9-13 18:34:00 发表 未然形和れ一般都缩音为相应的一个え段词,为什么还有 言われる、買われる等这种用法存在?哪种常用?


言える、買える常用。不仅五段、一段动词的音变实际应用已经很普遍,如:食べれる、見れる等,但语言界似乎并未予与认可,存在争论。 [/quote]

还真的不知道有这种用法啊,只知道食べられる的用法,学习了,老师辛苦了
欢迎光临我的淘宝小店 http://shop35238793.taobao.com/
全部是个人的闲置dd,希望对其他人有用。
免费提供英文,韩文短句,单词翻译服务。
离线Lavender2008
只看该作者 6楼 发表于: 2008-09-15
動詞の可能形及び「ラ」抜き言葉の分かりやすい説明
To:管理人さんへ

 この文章はたまたまヤフージャパンのあるHPで見て、この議論に適していると思い、コピーしてきたものです。もしルール違反でしたら、お手数ですが、削除してください。よろしくお願いします。

 
 「ら抜き言葉」その1

 皆さんは「ら抜き言葉」というのをご存知ですよね。「見られる」「食べられる」とは言わずに、「ら」を抜いて言うあれです。見れる、起きれる、着れる、食べれる . . .

 
え? いつも使ってるって? ああ、あなたもそうなのですか。実は、私も学生の頃はよく使っていました。この仕事(日本語教師)についてからは、意識して使わないようにしていたため、いつのまにか使わなくなってしまいましたが . . . そうなるとおかしなもので、今度は、昔は平気で使っていたはずの「ら抜き言葉」が、妙に気になるのです。この間のことですが、母(60才過ぎ)が「食べれる」と言っているのを聞いた時にゃあ、正直言って驚きました。たしか、母は、「可能」の意味の時でも「食べれる」じゃなくて「食べられる」と言っていたはずなんですが . . . これは、きっとテレビか何かの影響に違いない!

[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
 「食べられる」は、受け身?尊敬?可能の意味?用法で使われますが、「食べれる」と「ら抜き」になるのは可能表現の場合だけですね。


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
 ここで、動詞を用いた「可能表現」について見てみますと、
[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
1)
「(動詞の辞書形)ことができる」を使う。
[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
 例:読むことができる。
   見ることができる。
   食べることができる。
   来ることができる。
  (することができる?)
[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
   「する」(不規則動詞)は「(~が)できる」となる。


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
2)「読める」「話せる」など、五段動詞の場合は可能動詞を用いる。
[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  終止形/辞書形(辞書の見出しに使われる形)からだと、- u → - eru
となる。
この言い方は、江戸時代から使われてきたとのこと。

[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  読む → 読める
  yom?u → yom?eru
  話す → 話せる
  hanas?u → hanas?eru

[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img][attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img][attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]  
[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
3)五段動詞の未然形/「ない」形の「ない」語幹に助動詞「れる」を付けて可能の意味を表わす。この可能形は、受身形?尊敬形と同形となる。ただし、このやり方は最近では(特に話し言葉では)あまり用いられないように思われます。 


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  読む → 読ま + れる(読まれる) 
  例:この本、むずかしくて、僕には読まれないよ。

 
  帰る → 帰ら + れる(帰られる)
  例:あ、終電なくなっちゃった。家に帰られないや。
[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  *ちょっと気持ちの悪い言い方になってしまいますね。
   舌ももつれそうで . . .


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  ただし、「行く」の場合は、「行かれる」が可能動詞と同様、よく使われるようです。
[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  例:ごめん。来週のコンパに行かれなくなっちゃった。


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
4)一段活用の動詞と動詞「来る」(不規則活用)の場合は、未然形に助動詞「られる」を付ける。この可能形は、受身形および尊敬形と同形。


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  見る → 見 + られる(見られる)
  食べる → 食べ + られる(食べられる)


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  そして、実は「ら抜き言葉」は、この一段動詞による可能表現を五段動詞のようにする(可能動詞)ために起こると言われているのです。

  見る → 見れる mir?u → mir?eru
  食べる → 食べれる taber?u → taber?eru
           (五段動詞における可能動詞のよう)


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  また、これは、可能の意味と、受け身?尊敬の意味を区別しようとする意識のあらわれであるとも言われています。

  地域によっては、古くよりこの使い分けが明確になされてきた所もあるとのことで、「ら抜き言葉」を単に言葉の乱れであるとする意見には異論もあるようです。

[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  ちなみに、不規則動詞の「来る」の場合は、
[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  来る(くる) → 来られる(こられる)
  来る(くる) → 来れる(これる)<ら抜き>


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  となり、単純に kur?u → kur?eru
とはいかないので、五段動詞のようにしたのだとは簡単に説明することができません。

  これは、単に発音を簡略化するために「こられる」から「ら」を抜いただけなのか? あるいは、両方の要素があるためなのか?




 「ら抜き言葉」その2

  
  
一段動詞と不規則動詞を「可能」の意味で用いる際に「ら抜き」となる地域は全国的に広く分布しているとのことです。

  地域によっては「ら有り」の方が存在していないため、共通語において行われる「ら有り」の言い方がむしろ不自然で美しくなく感じられる場合もあるようです。

 なお、五段動詞における「可能動詞」ですが、これは近世の江戸語に発生した比較的新しいものであると言われています。

 もともとは yomu → yomareru とやっていたわけですね。もちろん、これは今でも文語や口語の一部で用いられていますが . . .
  

 一段動詞と不規則動詞を「可能」の意味で「可能動詞」のようにするやり方も意外と古く、「近世の末期、嘉永~元治の頃にまで遡れる」とのことです。下のように考えると、「ら抜き言葉」も五段動詞による「可能動詞」も同じ原理の上に成り立っていることがわかります。

[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  <五段動詞>  yomu → yom (ar) eru → yomeru
  <一段動詞>  taberu → taber (ar) eru → tabereru
          miru → mir (ar) eru → mireru
 
  <不規則動詞> kuru → kor (ar) eru → koreru
 (!)
[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
  というわけです。


[attachment=]http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/pixel.gif[/img]
 「な~んだ。それじゃ、『ら抜き言葉』だけ 目の敵(?)にするなんて不公平じゃん!」ということになるのですが、私の感覚を述べさせていただくと、たいていの場合「ら抜き言葉」はどうも居心地が悪いのです。ただし、友人や家族との会話で、
   「ねえ。あした朝早く来(こ)れる?」「うん。来れるよ!」
   「朝六時だよ。」「ええ?そんなに早く起きれないよ!」
  と、ものによっては「ら抜き」にしないとしっくりこない場合があるのもまた事実です。

今を精一杯生きる!