山本周五郎
(やまもとしゅうごろう)
1903~1967
山梨県出身
本名:清水三十六
『日本婦道記』:は武家社会や町人社会で生きる女たちの、生活の様、つつましさ等を通して、女性のあるべき姿を、数編の短編小説にまとめたものです。直木賞固辞。
『樅の木は残った』:江戸時代、仙台藩伊達家の家老、原田甲斐という人物を描いた物で、主家乗っ取りを企む分家当主と、そのお家騒動に便乗して、伊達家を取りつぶさんとする幕府権力に対し、原田甲斐は自らが汚名を一身に背負って殺害されることで、伊達家を守る、という内容。毎日出版文学賞固辞。
『赤ひげ診療譚』:保本登は、長崎でオランダ医学を学び、江戸に帰ってきた。立身出世をめざす意気盛んな若者である。父親に命じられ顔を出した先は、小石川療養所。そこでは、赤ひげを含め3名の医者が、貧しく行く当ても希望もない多数の人々を治療していた。そして、保本の意志とは裏腹に、彼は、小石川療養所で住み込み医師として働くことを決められていたのだ。最初は反発する保本であるが、次第に赤ひげの患者に向かう姿勢に共鳴していき、婚約者の裏切りの心の傷も癒えていく…。
『青べか物語』:浦粕町(現在の浦安町)に移り住んだ“蒸気河岸の先生”こと作者が、浦粕町での数々のエピソードのエッセンスを小説化したもの。
『季節のない街』:時限もなく地理的限定もない架空の貧民街で懸命に生きようとする庶民の人生を、数々のエピソードの断面で描き出そうとする。
『長い坂』
『おごそかな渇き』絶筆、未完。s
* 短編小説に優れた。
* 横浜一中を中退後、東京木挽き町の質屋山本周五郎質店に徒弟として住み込む。
* 「樅の木は残った」や「赤ひげ診療譚」はNHKテレビで放映され。
* 「読者から与えられる以上の賞があるとは思えない」という確固たる信念に基づいて、一切の賞の受賞を辞退した。
太宰治
(だざいおさむ)
1909~1949
小説家
青森県生
本名:津島修治
東大仏文科中退
新劇作派
『魚服記』『思ひ出』、『葉』
『道化の華』芥川賞の次席となり、新進作家の地位を固める。
『ダス・ゲマイネ』
『二十世紀旗手』
『富岳百景』:小説家の修治は、筆が進まず、鬱蒼とした出口の見えない日々を送っていた。ある日、富士の見える“天下茶屋”で執筆活動をしている先輩小説家の井伏に誘われ、心を新たにその地へ向かった。天下茶屋での女将さんや娘さん、地元の人々との触れ合い、さらに、井伏の紹介でお見合いすることとなった美知子との出会いにより、修治の心に少しずつ変化が生まれていく。そんな修治を、変わらぬ姿で見つめ続ける富士。月夜に浮かぶ富士は、美しく凛としてそびえ立つ…。
『駆け込み訴へ』:聖書から題材を得て、キリストの弟子であるユダの告白といった形式になっています。
『右大臣実朝』
『冬の花火』
『ヴィヨンの妻』:タイトルにある「ヴィヨン」は、フランスの詩人「フランソワ・ヴィヨン」です。フランス中世期の詩人で、パリ大学の文学修士の資格まで得ながら、強盗、殺人、放浪などの生涯を送った人物です。
『斜陽』:戦争が終わった昭和20年12月、没落貴族になったかず子と母は生活をしていくことが困難になったため、叔父のすすめ により東京の西方町の家を売り払い、伊豆の山荘で暮らし始めます。かず子は一度結婚するもうまくいかず、母の面倒をみながら暮らしてきたのです…。かず子のモデルとなった太田静子の日記を借りて書いた。
『人間失格』:写真を見たという男のはしがきから、主人公である大庭葉蔵の手記という形で構成されています。
『如是我聞』
『グッド・バイ』未完。
* 昭和8年、古谷綱武、今官一らと「海豹」を発行。
* 昭和9年、古谷壇一雄らと「番鳥」を発刊。
* 「日本浪漫派」に合流、三号の「道化の華」は芥川賞の次席となり、新進作家の地位を固める。
* 麻薬中毒のために入院。