第七册
第一课《红蜻蜓和蟑螂》(战争儿童文学)
课文内容提要:描写一少年在日本二战败战前后的遭遇。反映二战期间的社会现实和日本人民的反战情绪。
作者介绍:野坂昭如
幼くして生母を亡くし、神戸在住の叔母夫婦の養子となる。戦時下の神戸市立一中時代に米軍の空襲を受けて養父母を失い、さらに、焼跡を放浪中に妹を栄養失調で亡くす。戦後は新潟県副知事の職にあった実父に引き取られて旧姓に戻り、早稲田大学文学部に入学。57年に中退してからは、「おもちゃのチャチャチャ」の作詞やテレビ台本、CMソングをてがけるなどして、作家生活にはいる。その間、参議院議員を勤めたほか、歌手、テレビタレントなど多様な分野でも活躍。五木寛之とともに、一時代を築いた作家。「焼跡闇市派」を自称し、戦争、占領体験を文学の原点とする。途切れのない文体が大きな特徴。
第二课《电影艺术的诞生》(评论)
课文内容提要:综述电影艺术的历史演变。
素材提供:
芸術という単語はラテン語のars、すなわち技巧という意味だった。今でも調理芸術のようにそのままの意味で使われている場合もある。しかしもっと多く使われる意味としては、文学、詩、演劇、音楽、舞踏と視覚芸術などを指す。現代ではさらに一般的には視覚芸術のことを指している。視覚芸術には絵画、彫刻、建築の三つの領域がある。ここでは写真芸術のことを例にしたい。今、世界各国の有名な写真展を見てみると、機材のよさといったら私の子どもの頃とは比べものにならないほど高度技術が使われている。まずレンズなのだが、ズームの種類がさまざま、数十枚のレンズからなるズームもある。被写体の背景のぼかしの時に欠かせない機材である。またいろんなフィルターがある。雪景色を取るに不必要な光を押さえたり夜景を取るに特殊な光を増幅させたりするときに大きな役割を果たす。日本のニッコンF3をもっているが、その機体には複雑な電子回路が採用されている。しかもバカチョンではない。ほとんど手動である。ようするに、いくらプロでも、いいカメラいい撮影の機材がなければ、写真展に出せるような写真が取れないだろう。
第三课《无名的人》(传记)
课文内容提要:介绍日本明治时代一人物的历史功绩。
作者介绍:司馬遼太郎
1923~1996 大阪市生まれ 本名 福田定一。薬剤師の次男として育つ。1941年大阪外語大モンゴル語学科に入学するが、43年には学徒出陣で満州へ赴く。京都の新日本新聞社を経て産経新聞社へ移り、61年まで勤務。以後、歴史作家として、96年死去するまで活躍。
33歳の56年に『ペルシャの幻術師』で講談倶楽部賞を受賞したことをきっかけに、59年時代長編『梟の城』で第42回直木賞を受賞。代表作に『国盗り物語』(菊池賞)、『殉死』(毎日芸術賞)、『街道をゆく』(日本文学大賞)などがある。
第四课《北海道的秋天》(随笔)
课文内容提要:通过北海道秋景阐明人与自然的关系。
部分课文译文:
我想,北海道的秋天止于十月底,而本州的秋天则止于十一月底。这就显示了它所有的特性。因此,自古以来,把这种秋天和春天一样长的缓慢适中、气候温和的四季循环, 当作日本自然的特色来看待的。从这一点来说,两个月的春天、两个月的夏天、两个月的秋天以后是半年的雪天,这不能不给人一种北海道自然极其严酷的感觉。姑且大自然中的秋天只在一年的生活日历上与人发生关系。北海道的秋天只有九、十两个月的时间,人们的生活中的秋天也在十月结束。亚麻和牧草、玉米棒子和珍珠米、还有大豆、甜菜、萝卜、洋葱、白菜、卷心菜等等也大致收割完毕。葡萄、梨子、苹果也都从它们的树枝上消失。全北海道的稻子也在十月中旬全部彻底收割干净。紧接着就能看到当年的第一场雪,大地率先进人冬季。所有田地上的和山岗上的作物的收割都集中在十月底。十月是秋收最繁忙的季节。无论成年人还是年青人或者孩子都忙得不亦乐乎,甚至没有工夫去品尝人生的悲哀而愁叹漫漫长夜。那里只有万里晴空和彩云。然后在一切接近尾声时开始候鸟的捕猎。在大雪来临之际,牧场上为备冬而紧张忙碌的景象,则又是另一种意义上的秋天。
这时,对漫长的冬季作好了万全准备后的安堵感占有主导地位。这样的生活情感的曲线在城市的生活里也有。秋天对城镇居民来讲也是作准备的季节。紧张而又繁忙,根本没有愁叹的气氛。十月底十一月初时的萝卜进货啦、耽误了煤炭和柴禾的进货时的不安感啦,总之,可以说北海道的秋天是收割和备冬、一年中最丰富的人生活动季节。
只要有季节存在,就有北纬四十度圈的宿命。就是在欧洲也同样受大自然的支配确定生活日历的。西方文学的土壤可以说是和北海道并无不同。在那里,秋天对百姓来讲是丰富充实、生气勃勃、绚丽多彩的、并富有人生价值的季节。在那里,仰望秋雨感叹孤独的人都将不包括在百姓的范围之内。因此,说日本的秋天是悲哀的、寂寞的,那是因为日本古典美的传统是贵族的传统的缘故吧。
第五课《暗夜行路》(长篇名作的第一章节)
课文内容提要:描述了作者对人生的思索和探求。
作者介绍:志賀直哉
一八八三年~一九七一年。小説家。宮城(みやぎ)県生まれだが、先祖代々、福島県相馬(そうま)藩の家臣(かしん)。祖父は、古河(こが)財閥と共同で足尾(あしお)銅山を開いたという人物。
二歳の時に一家で東京に転居。学習院初等・中等科を経て一九〇六年に東大英文科に入学。この間、内村鑑三(うちむらかんぞう)に師事、足尾銅山鉱毒事件をめぐって労働者に理解を示して父と対立。国文科に移った東大も、一〇年に退学した。
以後『白樺』創刊に関わるが、作家活動に反対の実業家の父と再び対立。一二年、ついに家を捨てる。尾道(おのみち 広島県?)・松江(まつえ 東京都江戸川区松江町?根島県松江市?)・我孫子(あびこ 千葉県)などに居を移しながら創作活動を続行。一四年結婚。一七年父と和解し、以後優れた心境小説を発表する。四九年、文化勲章を受章。七一年、肺炎のため八十八歳の生涯を終えた。
大学在学中に『或る朝』を執筆。一〇年には武者小路実篤らと『白樺』を創刊し、『網走(あばしり)まで』『城の崎にて』などを発表、文壇に地位を得る。父との対立がおさまってからは『和解』『或る男、その姉の死』『小僧の神様』『暗夜行路』 と黄金期にはいる。戦後は『灰色の月』など数編を発表するが、次第に小説からは遠ざかる。
作品にはヒューマニズムがあふれ、簡潔な文体、冷徹な対象把握でリアリズム文学の極致(きょくち)を切り開いた白樺派の第一人者。自著『小僧の神様』にならって「小説の神様」と称される。
长篇小说《暗夜行路》梗概:
主人公時任謙作は幼い頃、母愛があっても父愛がなかった。母が亡くなってから祖父と一緒に暮らす。祖父が亡くなってから自分がお栄に恋してしまったのに気がつき、心の中で悩みつつ旅に出た。旅道でお栄と結婚すると決意した。手紙で兄に知らせたが、兄は返事の中で出生秘密を漏らした。大きなショックを受けた。
その後、京都で綺麗な女性(直子)と出会い、そして結婚。ある日、自分が外出中に妻が義理の兄に犯されたのを知り、彼は悩みに陥った。また旅に出て、とうとう病気に倒れた。意識朦朧の中、「永遠のトンネルが見つかった」。目の中に柔らかみと愛に満ちあふれていたのを駆けつけた妻が見た。
主人公はその前編においては自分の出生の秘密を知り、不義の子という事実に苦しみ、後編においては妻の過失に悩みながらその解脱に志す内的風景が全編の骨格をなしている。
作者は青春彷徨(ほうこう)期の自己形成の歴史を充満させた。その意味では、日本には珍しい教養小説(ビルドゥングスロマン)をなす一種の自我確立の物語である。
清澄(せいちょう)な感受性を持ったモラルというのでは、近代のインテリゲンチャ的退廃(芥川龍之介、太宰治)とは対象的である。
第六课《日本人的契约观》(评论)
课文内容提要:描述了日本人的法制观念的进步过程。
语句的解释:
江戸時代の草双紙(くさぞうし)(大衆向きに書かれた絵入りの通俗小説の総称)で心学の考えに基づいて人物を顔の目鼻の変わりに善人(ぜんにん)には「善」、悪人(あくにん)には「悪」とだけ書いてその類型を示したことから、ぜんだま←→あくだま
・コレステロールには善玉と悪玉とがある。
第七课《伊良湖海岬》(游记)
课文内容提要:介绍了日本伊势湾附近独特的自然风情。
第八课《日本的耳朵》(评论)
课文内容提要:描述了日本人的诗情。
练习问题九的参考答案:
1)身をもって体験する←→知的作用や体系的な学説に訴える
2)日本の音楽は知的作用を隔絶した世界←→ヨーロッパの音楽は論理的体
系を積み重ねながら調和的な力を追及する。
3)日本の音楽は調性をひたすら体験的なものとして感じる←→ヨーロッパの音楽は調的な力の把握に知的作用の助けを借りる
4)日本の音楽は、主観的な性格を持つ←→ヨーロッパの音楽は客観的な性格を持つ
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