豊かさと貧しさ
「勉強は何のためですか」 「いい仕事のために」 「いい仕事の目的は」 「より多くお金を貯めるように」 「金持ちになった後は」 「もちろん一日も早く豊かな生活にならんがために。」でも、一体、どんな生活が本当に豊かだと言われますか。
今、科学技術の発達には目を見張る物があります。それに伴って,現代社会の発展に拍車がかけられます。服装、飲食、住む、行く、遊ぶの五つの方面から見ると,服で暖を取るだけでなく、個人の地位を象徴していって、あるいは個人の性格も表します。ですから、デザインと色が何より大切になるものがあります。飲食について基準が変わていました。腹一杯は言うまでもなく、色、味、香りはどれも欠くことができないし、山海の珍味という以前は日常口にすることもできなかったような食べ物でも安い値段で手に入るし、そればかりでなく、今日の私たちは、居ながらにして世界各国の料理を味わうことができます。 「住む」にかけては簡単に雨と風を防ぐ所だけではありません。庭はともかくとして、できるなら面積が大きくなればなるほど良いです。ところで、現代人にとって室内装飾が一番大切なものになったそうですが、いくらお金を払っても、気持ちが落ち着いています。取り直さず、何とか贅沢な部屋にならないものかと思っています。また、「行く」というと、タクシーにしても自動車にしても飛行機にしても本当に便利なものです。お金さえあれば、どこへもに気軽に行けます。経済発展にしたがって以前と比べで現代人の生活で遊ぶことにかけるお金と時間の割合が高くなってきます。いわゆるレジャーが生活の一部になるようになりました。国内と国外の旅とかいろいろな極限運動といったものはどんなに多彩なんでしょう。
以上のような次第で私たちの生活は飽食暖衣と言っても過言ではない。これは本当に「豊かさ」ですか、私にとって人類の生活は物質と精神の二つの部分を組み合わせます。でも今は物が溢れるほど潤沢になったとはいえ、人間の精神生活で非常に珍しい物を失う嫌いがあります。精神生活の質という点から見れば、豊かさというより貧しさというほんが正しいです。
例えば、通信技術やネット技術の発展によって、手紙やわざわざ会うことはないコミュニケーションが楽にやれます。それどころが、便利になるにつれて、人と人が一緒にいる時間が少なく一方であるように、人類は人よりスクリーンと話したくなるきらいがあります。
そのあげく人類のコミュニケージョン機能という生存ための本能をとうとう失ってしまってきます。そのせいで現代社会で自閉症という精神病にかかっている人が多くなります。何もこれはコミュニケージョン機能に限ったことではなく、芸術についても同様のことが言えます。芸術水準より経済利益に向かってひたすらまいしてきた進してきた芸術家の姿があるせいで今の芸術品が商業気味一杯とともに芸術性と観賞性がある本物の姿を消してしまったのです、個性や創造力もないし、精魂込めないし、本物とは程遠い、見掛け倒の代物ばかりであります。だからこそ、今はネット文学やらファースト·フード文学やら流行音楽やらの時代と言いますが、そんなものが芸術価値もなければ 物を伝えるということもないです。聞かなくなったら、見えなくなったらが最後、いつも簡単に捨てられてしまいました。そうすれば、何時の間にか、文化砂漠になりかねないと思います。
「飽食暖衣」は社会が豊かになったということではないのかという議論があります。でも物質生活の質だけ標準として「豊かさ」への道を急ぎに急いだ結果、物質生活の質が高くなるのに反して精神生活の質が低くなっているが、我々は知らず知らずのうちに豊かさとは全く逆の方向への歩みだったのではないかと思わせられます。
以上です。
自分の感想だけであり、ミスも一杯はずだと思いますが、皆様 我慢してくださいね!
[本贴已被 青岛 于 2003-8-22 21:22:25 修改过][/COLOR][/ALIGN]