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离线Kohakugawa
 
只看楼主 倒序阅读 使用道具 楼主  发表于: 2003-07-22
离线Kohakugawa
只看该作者 沙发  发表于: 2003-07-22
[讨论][分享]文学入門
熊谷 孝 著 
文学入門

学友社 1949年6月20日発行
  ※原本は、縦書き、1ページ14行、1行43文字。全151ページ。
  ※漢字の旧字体は新字体にした。
  ※くりかえしの記号(「ゝ」や「ゞ」)は対応する仮名になおした。
  ※ふりがなは省略した。






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离线Kohakugawa
只看该作者 板凳  发表于: 2003-07-22
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目  次


文学のまがいもの…………………………………………………………………… 1
思想と文学…………………………………………………………………………… 11
  思想は生きものだ……………………………………………………………… 11
  現実の反映……………………………………………………………………… 24
  人民の言葉・奴隷の言葉……………………………………………………… 30
  商品としての文学……………………………………………………………… 36
   ―忘れられた読者―
  こんにちの文学をささえているもの………………………………………… 39
  人間解放の文学………………………………………………………………… 48
  政治と文学……………………………………………………………………… 63
文学の方法と対象…………………………………………………………………… 78
  人民のための文学……………………………………………………………… 78
   ―『空気がなくなる日』について―
  作品享受についての一つの調査……………………………………………… 93
  表現と理解……………………………………………………………………… 107
   ―子どもの文学とおとなの文学―
  文学と科学……………………………………………………………………… 120
   ―ふたたび実感の問題にふれて―
  文学作品の価値………………………………………………………………… 136
あとがき……………………………………………………………………………… 144
   ―ロダンの芸術思想にふれて―

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离线Kohakugawa
只看该作者 地板  发表于: 2003-07-22
文学のまがいもの
いけないな、と思う。こんなことでいいのかしら、と首をかしげさせられる。それがみんなに読まれた場合の影響や効果を考えて、身ぶるいさせられることさえある。文学作品にしたしむのは、たのしいことであるはずなのに、このごろではうんざりさせられることのほうが多い。雑誌の創作欄をうめている詩や小説は、そのほとんど全部が、あくまに魂をうりわたしたような作品ばかりだ。こんな文学のまがいものが、それをわたしが読んでいる、その同じときに、やはりほかの若い学生諸君や勤労者の諸君によって読まれているのだとおもうと、身ぶるいするばかりか、はらだたしくさえなってくる。
 子どもあいての創作にしたって、そうだ。人民の子の、明るくすなおなこころを、あくまの子のうすよごれた、くもりのあるものにゆがめていくようなものが、いま、ひじょうに多いのだ。いけないな、とおもう。そして、どうにかしなくては、としみじみ考えさせられてしまうのだ。
 こんな時代に、文学をたんに美しいものとしてだけ語るのはまちがっている。こんにちの文学のきたならしく、うすよごれた魂を、うわべのごてごてした厚化粧に魅せられて、それを美しいというのはいつわりである。だが、また、文学作品の実際がそうであるからといって、文学そのものがそうした性質のものだと考えるのもまちがっている。文学というものは、ほんらい、人間の生活をすがすがしく明るいものに高めていくためのいとなみであったはずだ。過去にもそういう文学はあったし、いまげんに、そういういとなみが、いくたりかの作家、いくたりかの批評家、そしてかれらをささえている、めざめた人民たちによっておこなわれている。だが、それも、こんにちの文学ぜんぱんからの動きからすれば、とるにもたりないような、ささやかな、かすかな動きにすぎない。文学の現実は暗い。そして、この暗さが、現実そのものの暗さからきていることは、あとでのべるとおりだ。
 文学は、まだ、いまでも、奴隷のくさりにつながれている。

 こういう時代に、こんなふうな文学環境のなかで、文学とはどういうものかという問いにこたえることは、けっきょく、どういうのがほんものの文学作品で、どういうのが文学のまがいものであるのかという、ほんものとにせものとの見わけかたを語ることになってくるのだ。そういうことを語るいがいに、こんにち、文学を説明する手だてはないし、また、そのことをぬきにして、文学のほんとうのすがたを明らかにすることはできない。文学をほかのものから区別する、文学固有の性質が何であるのかというようなことも、だから、そういう角度から考えられていった場合に、こんにちの文学的実践にやくだつ生きた知識として理解されてくるのである。そういうことをぬきにして、たんに文学とは何かというようなことが問われていくとき、そこにみちびき出されてくるものは、文学とはことばをなかだちにした芸術のことだ、という、あのふるめかしい定義にすぎない。いまどき、そんな定義をむしかえしてみたところで、それでいったいどうなるというのか。むろん、文学をそう定義することにまちがいはないし、すべてそこから出発しなければなるまいが、問題はいまそのさきにある。創作や享受の実際にやくだつ、文学への理解というものは、文学の現実をはなれてはありえない。ことの実際をはなれて何ものもありえないし、また、ことの実際をはなれた論理のすべてはいつわりである。
 世間におこなわれている文学入門書というものにたいして、わたしは、もうせんから大きな不満をいだいていた。それがきまって文学の実際をはなれたものであるからだ。こんにちの文学の実際からはなれているということは、また、これらの入門書の問題のとりあつかいが、わたしたちの生活の実際からはなれた、ことばの遊戯にすぎないものだということである。どうしてかといえば、人間生活の実際(現実)をはなれて文学というものはありえないからだ。文学は、もと人間の生活のなかからうまれ、そして人間生活(社会)といっしょに成長してきたものなのだ。現実からうまれて、現実そのものについて考え、そして人間の現実生活のありようを変えていくというのが、文学のアルファでありオメガである。これらの入門書が文学の実際に即していないというのは、つまり、こんにちの文学のほんとうのところが、筆者その人につかまれていないということによるのだ。だから、それはまた、こんにちの現実そのものが筆者に理解されていないということのあらわれでもあるわけなのだ。このようにして、学者の書いた入門書は、きまって「文学とはことばを媒体とした……」の定義をむしかえしたものになっているし、また、作家の書いたものは、ひとりよがりな、おひけらかしの創作苦心談におわっている。こんなものを百冊よんだところで、文学のほんとうのところはわからない。文学のほんとうのところが知りたかったら、こんなものに時間をつぶすことのかわりに、まず、現実のしくみそのものについてしっかり勉強することだ。わたしたちがそのひとりである、人民自身の立ちばに身をおいて、社会と人間との関係をふかくふかく考えてみることだ。いま、人民は、社会のどういうしくみのなかに、どんな生活をいとなんでいるのか。社会の動きが、わたしたち人民の生活や思想のうえにどんな影響をあたえ、また、わたしたちの生活の実践が、社会の動きそのものにたいしてどういうはたらきをもつか、等々々。そういうことが、身についた知識となって、ほんとうに生活のうえにいかされてくるようになれば、どれがほんものの文学作品で、どれがにせものであるのかというようなことも、自然にわかってくるはずのものなのだ。
 どうしてかといえば、文学は、世の中の実際をうつしたものであり、わたしたちの生活のうえを考えたものなのだから、それがことの実際とちがっているような認識をあらわした作品は、けっきょく、にせものだということになるし、その反対に、ものごとをあるとおりに、うそいつわりなく書きあらわした作品はほんものだということが判断されてくるわけなのだ。そういう判断は、けれど、社会というものがほんとうにのみこめていなくてはできないことだ。社会の勉強がさきだといった理由の一つはここにある。だが、せっかくの社会の勉強も、その勉強したことが、知性の実感となり日常的な生活の実感となって、自分の思想そのものを動かすようにならなくては、文学表現のかんどころをつかめるような、感受性のきめのこまかさはでてこない。文学の表現というものは、ことばのあやを、ぎりぎりのところまで生かしきった表現なのだ。そのことを、文学は融通性の面におけることばの使用だ、といったひともある。つまり、日常わたしたちが使っていることばというものは、ことばほんらいの規定的な意味におけるそれと、規定的な意味をはなれた、きわめて融通性にとんだものとの組みあわせなのだ。科学のことばとしては、あるきまった波長の長さやその状態をあらわす「赤」とか「赤い」ということばが、日常生活の面では「危険思想」とか「左翼的」というような意味にも、また、「赤い心」とか「赤誠」という熟語になって「こころのまこと」というような意味にも、融通して用いられている。ことばの芸術である文学が、融通性の面におけることばのあやを生かした表現を選ぶのは当然のことだ。芸術は、がんらい、享受者の日常的な生活感情の波間を縫い、その起伏にそって問題を認識し表現しようとするものなのだから。
 文学の表現が、そういうふうに、ことばのあやに生きる、きわめてニュアンスにとんだものになっていっているのは、また一つには、政治が作家の舌をしばっているということにもよるのだ。まがいものは知らず、ほんものの文学者で、政治に舌をしばられずに、だれはばかるところなくもののいえたような作家が、これまでいったいいくたりあっただろうか。たとえば、「ヴェニスの商人」のシャイロックが、人道にはずれた、貴族の奴隷所有を非難していることはだれでも知っていようが、そういう抗議なり非難が、悪玉シャイロックの口をかりてなされなければならなかったところに、「政治」をはばからねばならぬ、作家シェークスピアのなげきがあったわけなのだ。観客から見れば、にくい悪役のシャイロックなのだ。かれはにくむべきユダヤ教徒であり、だにのような高利貸なのだ。そういうシャイロックのことばは、くさいもの身知らずのたんなるにくまれ口として聞きながされてしまうだろう。これが、アントニオなりポーシァなりの口をかりてのことばであったなら、と考えてみれば、シャイロックにこのせりふをいわせていることは、効果を半減しているどころか、相手によってはマイナスにさえなりかねないのだ。そういうことは承知のうえで、あえてこうした表現をとらねばならなかったところに、「近代」にめざめたルネサンスの芸術家シェークスピアの面目がある。よほど目のこえた読者なり観客でなければ、それのほんとうのところは理解できそうにもない、奥歯にもののはさまったような、こうした表現――それが、しかし、近代以降の文学のつねなのである。
 ことばのあやに生きる文学の表現というものは、常識のしょぼしょぼまなこではむろんのこと、たんに社会のしくみをそれとして一般的に理解しているというだけでは理解されようはずもない、ニュアンスをもっている。一般的認識は、知性の実感にまで内に深められ、血のかよった思想とならなければ、それは文学の認識を内容づけ、それの表現を理解する感受性とはなりえぬのだ。むずかしいのは、この点である。

 こんにちの文学入門書がどういうものでなければならないか、ということも、だからしぜん明らかだろう。文学をたんに文学として語るだけでは、文学のほんとうのところはわからない。文学が芸術としてもつ固有の性質とかはたらきというようなことも、現実との過不足ない関係においてとらえられてこそ、こんにちの文学的実践にやくだつ生きた知識としてわたしたちのものになるのである。こんにちの入門書は、だからして、文学作品のにせものとほんものとをみわけるための、ほんものの思想といつわりの思想とのはっきりしたみわけかたを語るものにならなくてはいけないわけだ。つまりは、現実のうそとまことをみわけ、いまの世の中のゆがみや生活のねじくれを身をもって直していこうとする、実践への情熱に結びつく、ほんものの思想にまで、ひとびとのこころとおもいを高めなくてはならないのだ。そうしたこんにちの問題との正しいパースペクティヴ(遠近法)においてとらえられてこそ、文学のほんとうのところも明らかにされようというものなのだ。それがわたしにできるか。入門書を書くということは、ほんとうをいえば、専門書を書くことより数段むずかしい。文学というものが血となり肉となて、ほんとうに自分のこころに生かされていなければ、とうていできるしごとではない。わたしは、ざんねんだが、失格だ。
 失格者であることはじゅうじゅう承知のうえで、あえてこのしごとにとりかかろうというのは、そのひとをえた、すぐれたしごとがうまれるまでの「つなぎ」になろうという気もちである。さらにいえば、この文学第一教程的な面の空白を見て、じっとしてはおれない気もちがわたしにペンをとらせたのだというふうにもいえようか。つまり、人民の日本のにないては若い人たちであるということだ。それを裏からいうと、レディー・メードの常識的な思想にこりかたまった「おとな」どもには、期待すべきほとんど何ものも見いだせないということだ。ところが、いまあるものは、そういうおとなを対象(相手)にした文学案内ふうのものばかりだ。
 わたしは、この小さい本のなかで、思想と文学との関係や、文学固有の方法や対象の問題を、こんにちの文学現象に即して考えてみたいとおもっている。それを、いま、新制高等学校にまなぶ年ごろの若い学生諸君や、やはり同じ年ごろの勤労者の諸君といっしょにかんがえてみるつもりなのだ。この入門書は、なによりもそういう若い人たちのための文学教程として書かれる。だが、一世代・二世代としうえの、一般青・壮年のひとたちが読んでも、時間のむだづかいにならないようなものにしたいと考えている。




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离线Kohakugawa
只看该作者 4楼 发表于: 2003-07-22
思想と文学
思想は生きものだ

わたしの父親は、わたしたち兄弟のことでずいぶん苦しんだ。わたしや、わたしの兄たちが、手におえないほうとう息子であったからではない。むしろその反対に、自分の正しいと思った思想に、純粋に、誠実に生きようとする、わたしたちであったからだ。
 父は、明治と年号の改まるまえのとし、慶応三年に秋田で生まれた。そして、冶金や電気について、当時としてはかなり進んだ知識を身につけた技術家だった。それで、役所につとめても会社にいっても、ひじょうにちょうほうがられたし、だいじにされもした。会社では、課長とか所長というようなポストにつくこともできたし、いきおい暮しむきもゆたかであったらしい。だからゆたかな大地主の家に生まれたとはいえ、自分の「はたらき」だけで生活をささえていかなければならない境遇にあった、次男ぼうのわたしの父は、自分の身につけた技術だけをちからに暮らしをたてていったわけだし、またそうしてえた収入で、つぎつぎ兄たちを高等学校から大学へと進めた。父の考えはこうだった。学問さえ身につけておけば、出世も立身も思いのままだ。なまじっかな資産など残しておくより、学校に入れることのほうが、どれほど子どものしあわせかしれない。つまり、こんなふうな考えであったらしい。それで、つぎつぎと兄たちに「学問」をさせた。父のねらいは、いちばんうえの兄にたいしてははずれなかった。大正の初年に工科大学(いまの東大の工学部)を出たこの兄は、ある大きな財閥の会社にはいって、やがて技術部長になり工場長になり、油脂工業の面では有数のエクスパートになった。そして、いまげんにその会社のなんとか取締役という肩書きのある重役になっておさまっている。むろん、頭もよかったらしい。中学時代から大学を出るまで、ずっとトップをきっていたそうだ。だから、大きい兄さんをみならえ、とわたしたちは母からよくそういわれたものだ。小さい兄たちも、学生時代やはり「秀才」の部類であったらしいが、それでも、あにきにはかなわない、とよくそう言い言いした。だが、やはり時代が「よかった」のだ。父も、大きい兄も、日本の資本主義が発展してゆく時期に生まれあわせたのだ。おくれて進んだ日本の資本主義が、欧米のそれに追いつこうとして、新しい知識と進んだ技術を必要としていた、ちょうどその時期に技術家として世に立ったひとたちであった。
 父の時代と大きい兄の生きた時代とは、つまり日本の資本主義工業の草分けの時期と、それがより大きくのびていく時期とをそれぞれあらわしている。だから、このふたりのあいだにも、かなり考えかたのちがいはあった。初代と二代目のちがい、いわばそうしたちがいがあるにはあった。だが、まじめにこつこつ仕事にはげんでさえおれば、しぜんに立身出世もできるし、らくな暮らしができるようにもなると考える点では、親子の意見はすっかり一致していた。このようにして、いわば三代目である、つぎのふたりの兄たちの時代と思想を理解することのできないひとになっていった。
 大正の末年と昭和になってから学校を出た、つぎのふたりの兄も、やはり工業技術家であるという点では、父や大きい兄とおなじことだ。技術者になることは、家憲ではなかったにせよ、すくなくともわが家の惰性であった。ひとりの兄は、工業技術にたいするよりはむしろ文学に興味をもち、自分では大学の文科に進むことを望んでいたらしかったが、その願いはついにいれられなかった。いちばん小さい兄も、同じ技術家ではあっても、映画のキャメラマンかなにかになる希望をもっていたらしいが、けっきょくは大学にはいって化学工業を専攻することになった。末っ子のわたしだけが、自分のこころざすとおり文科の学生になることのできたのも、気にそまない職業に自分をしばりつけなければならなかった、このふたりの兄のあたたかい理解によるものだ。ともかくそういうわけで、つぎのふたりの兄も、大学を出ると会社員になり工場ではたらくことになった。だが、もうこの時期は、資本主義がきょくどに発展したあげく、過剰生産におちいり、買い手のつかない品物が市場にごろごろしているという時代であったから、工場でもむしろ人べらしをやっているくらいのもので、就職難ということがいわれはじめ、また政府でも失業対策などにのりだしてきはじめた時分だった。技術家をだいじにした昔とはもう時代がちがうのだ。まじめにしごとにはげむことで立身出世が約束されていた時代とは、時代がちがってきたのである。「いくらがんばってみたって、お父さんや大きい兄さんのような出世はできませんよ、なにしろ時代がちがうんですからね。それに、ぼくはべつに出世なんかしたくはありませんよ。いまの時代に金もうけしたりするのは、こすっからい悪いヤツばかりですよ。だって、よほどずるいことでもやらんかぎり、ふつうにやっていて金のたまるはずがないじゃありませんか。」
 このいくじなし、といって歯をくいしばる年老いた父のまえで、小さい兄がこんなことをいっていたのを、わたしはいまに忘れられない。
 そして、自分の時代にみきりをつけた、うえのほうの兄は、時代にみきりをつけると同時にこの世の中にみきりをつけて、神の福音に自分の生きがいを見いだそうとする人になっていった。もっとも、それには、もっと深いこみいった事情もあったけれど。それで、この兄が自分のみちしるべとして求めたのは内村鑑三であった。妥協ということを知らぬ、無教会主義のクリスチャン内村鑑三。内村さんがそういう人であったように、この兄も、信仰生活の面ではいささかの妥協もない、かたくななまでに純粋にきびしい人だった。また、小さいほうの兄も、自分には出世などいうことよりもっとだいじな問題があるといって、やはりキリスト教の信仰に身をゆだねていった人であったが、うえの兄のばあいとはちがって、人間の世の中の矛盾をそのままにしておいて来世の福音だけを考えるような人ではなかった。だから、早稲田の学生であった時分には、商人の中間搾取から学生生活をまもるためにといって、学生消費組合の設立にちからこぶをいれたり、いろいろな社会事業などに献身的な運動をつづけたりもした。
 父や大きい兄には、弟たちのこの思想がついに理解できなかった。思想のちがいは、血のつながりをこえて、父と子とのあいだに、兄と弟とのあいだに大きなみぞをつくってしまった。いちばん末の弟であるわたしは、――文学をやるようなヤツはろくでなしばかりだ、わたしは、父からも兄からも問題にされなかった。そして、わたしはまた、自分の正しいと考える思想に生き、父や兄たちのあゆんできた道とは別の道を、いま、あゆみつづけている。

 思想は、だから、子をして親にそむかせ、弟をして兄にそむかせる、生きた現実のちからである。思想のもつ、そういうたくましい力というものは、がんらい思想というものが、わたしたちの生活の実際と結びついてうまれたものだということにもとづいている。子どもをふるい常識のきずなにつなぎとめようと、いくらあがいてみたところで、子どもには子どもの時代の新しい生活がある。父なり母なりの思想が、やはり親たちの生きた時代の生活の実際からうまれたものであるように、新しい思想には、また新しい時代のなまなましい体験の裏づけがあるのだ。ひとをとらえてはなさぬ、思想のねづよさは、ここにある、このようにして、思想は、現実の生活のなかからうまれ、そして現実そのものをうごかす底知れぬ力となるのである。
 思想は、いわば人生をしき写しにしたものだ。それは、歴史を生きるなまみの人間が、死に生きの人生のたたかいにおいてかちえた苦難の代償である、ということができよう。時代の体験をひとつの思想に結晶させるために、これまで、どれほど多くのひとがなやみ、もだえ、かつ苦しんだことだろう。また、純粋に、誠実にそのひとつの思想に生きようとしたために、どれほど多くのひとが、たえがたくしのびがたい、はずかしめとさいなみの、とし月をすごさねばならなかったことか。
 現代の思想の歴史は血にいろどられている。思想のたたかいのきびしさに、いたましくもきずつきたおれた、とうとい犠牲のいくたりかを、わたしたちはわたしたちの思想の血すじのなかにもっている。満州事変から太平洋戦争にいたる、この侵略戦争のさなかに、あるいはまた、人民解放のれい明がおとずれようとしていた終戦の前後において、軍閥・官僚政府の警察の手によってとらわれの身となり、およそ人間としてかくもむごいしうちがなされうるものかと思われるまでの責めさいなみによって、いたましくむごたらしくなぶり殺しにされた、いくたりかの先駆者のすがたを、いま、わたしたちは、わがこととしてわれとわが胸に思いうかべてみることができる。わたしの思想の底をながれているものも、現代を生きる者のひとりとして、こうした多くの先駆者のながしたとうとい血である。

 思想は、内なるものとのたたかいであると同時に、外なるものとのたたかいである。また、外なるものとのたたかいであると同時に、内なるものとのはげしい格闘である。こころのなかに巣くっているふるい思想とたたかうためには、わたしたちは、まず身をおこして外部の敵とたたかわなければならない。そのような思想をうみだし、それをささえているところの現実のるつぼのなかにとびこんで、現実(わたしたちの生活の実際、世の中の実際)そのもののゆがみを直そうと努力することのうちに、わたしたちの思想そのものがきたえられ、ゆがみのすくない、ちからづよい、ほんものの思想にまで成長する。このようにして、わたしたちの思想は、わたしたち自身、現実とのたたかいのうちに自分の手でかちえたものである。だから、自分のいだいている思想というものは、自分にとってはぬきさしならぬ、ぜったいのものとなるのである。
 「わたし」の思想はわたし自身のものであって、ほかのもののそれではない。「わたし」は「わたし」の思想をもっている。しいられて、むりじいにしいられて、「わたし」はいまの思想に生きているわけではない。どういう思想をもつかということは、めいめいの自由である。経験の教えるところにしたがい、むしろなまなましい自分の体験の整理として、「わたし」はいまの、この思想にたどりついたわけなのだ。
 しかも、「わたし」の思想は、わたしたちの時代のものの見かた、考えかたから自由であることはできない。わたしたちの考えは、多かれ少なかれ、この時代の思想、この時代特有のものの見かたにしばられている。時代のながれにさからって生きようとする考えも、時代のながれにさからって、とそう考えている点で、じつはかえって時代の思想というものにこだわり、それにしばられているということができるだろう。つまり、わたしのいいたいのは、思想いっぱんというようなものはありえない、ということなのだ。思想は時代の子だ。思想は、いつだってだれかの思想であり、ある社会環境に生きるなまみの人間の思想であるということだ。なまなましい自分の社会体験の要約――それが思想というものなのだ。思想は、つまり人間の社会生活の産物である。だから、その人がどういう思想をもっているかということがわかれば、また、その人がどういう生活をしてきた人かということも、げんにどういうしかたで生きている人かということも明らかになるというわけのものなのだ。だからまた、思想というのは、けっきょく、ある個人なりグループなりが、その社会をどのように生きたか、またどのようなしかたで生活しているかということの、ことばへの要約であり翻訳であるということにもなろう。
 ことばで言いあらわされないものを思想とよぶことはできない。思想はことばである。ことばに言いあらわされるということは、体験が生きた知識の体系としてまとめられるということだ。どうしてそういうことになるのかというと、「ことば」というものが、がんらい、自分の体験を相手に伝えるための手段としてつくられたものだということによるのだ。自分の体験を他人に発表できる程度にまで体験そのものを整理することによって「ことば」がもたらされ、また、ことばを手段として考えることで、必要な体験とむだな体験とがみわけられ、自分にとってたいせつだと思われる体験が知識として保存されて、こんごの生活にやくだてられるというわけなのだ。そして、だいじなことは、その知識が、生活の生きたしくみ(体系)のなかに織りこまれていくという点だ。だからこそ、それは、生活の実際にやくだつことにもなるわけなのだ。体系としてのつながりもまとまりももたない知識のかけらは、それをいくらよせあつめてみたところで、きびしい人生を生きぬくうえのたしにはならない。思想は、人間の生活の実践からうまれてくる。と同時に、逆に人間の実践そのものを方向づけるはたらきをもっている。そういうはたらきをもたない、たんなる知識は、それは学問でもなければ思想でもない。

 ところで、ことばに要約された体験が思想であるということは、思想が固定的な傾向をもつということだ。ことばは、がんらい、ものごとを固定的に――といっていけなければ、ある規定のもとにものごとをとらえるために作られたものだ。それは、規定的にものごとをとらえ、あらわすことによって、自分の考えをあやまりなく相手につたえ、また、相手の考えをあやまりなく理解する、そういうための手だてであったはずだ。「ま四角なテーブル」ということばは、長方形でも円形でもないま四角なテーブルを、いすでも机でもないテーブルをさしている。「ま四角なテーブル」ということばは、ま四角なテーブル以外のものを示すことはできない。思想は、体験のことばへの翻訳として、ことばの運命に殉じなければならない。体験はことばとなることによって、体験のしかたそのものをひとつの方向に固定し、しばりつけ、だからまた、ものごとにたいするかれの感じかたや、うけとりかたや、判断や、さらにまたそのとりさばきかたまでをも、つまりはかれの行為のすべてを、そうしたひとつの方向にみちびいていく、生きた現実のちからとなるのである。
 こんにち、なお、封建的な観念がひとびとのこころをとらえてはなさぬのは、むろんそういうふるい観念が再生産されうるような条件が社会のしくみのなかに残されていることにもよろうが、しかしそれだけではない。一方には、そういう条件をのりこえうるだけの、もっとつよい別の条件がうまれてきているのに、そうした状態がいまにつづいているのは、ひとつには、思想そのものの固定的な傾向によると考えなくてはなるまい。新憲法が施行された、この時代になっても、やはり天皇を神格化して考えることをやめないひとたちや、あいもかわらず、「陛下の官吏」として人民にのぞむ公務員や、そういう公務員と自分たち人民との関係を上と下との関係として考えるようなひとたちや、昔ながらの「戸主権」をふりまわして結婚にたいする娘や息子の自由意志を平気でふみにじる父親や、また、ストライキという合法的であった行為をなにか不道徳な、けしからんことのように考えて、「先生たるものが」といって教員組合の行動を非難する父兄や、そういう世間のわからずやの声におびえて、罪人のような青い顔をして泣きねいり先生たち、等々々。――そういうふうに封建的な観念からぬけきれないでいるひとたちを、わたしたちは、わたしたちの周囲におびただしく見いだすだろう。
 思想というものは、こんなふうに、またこんなふうなものとして、多かれ少なかれ固定的な、われとわが身をひとつの方向にしばりつける傾向をもっている。なぜなら、それはたんなる知識、ネクタイ代りの「教養」的知識ではなくて、なまなましい自分の生活体験に裏づけられた、生きた知識の体系であるからだ。思想は、ふつうにそう考えられているように、たんに頭の問題ではない。思想は、むしろ「胸」なのだ。知性と感情とが、分ちがたくひとつものにとけあったところに、はじめて思想とよばれうるものがめばえてくる。であればこそ、思想はふじみなのだ。不死身といったのは、むろんことばのあやだし、いいすぎだけれど、踏んでも蹴られても、すくなくとも、ちょっとやそっと痛いところをつかれ、自分の考えのいたらない点や不合理な点をほじくられたところで、そんなことではたじろぎも身じろぎもしないというのが、思想というもののかたくなさである。それは、つまり、思想というものが身についた知識、知識の体系であるからだ。

 思想は、いわば住みなれた家だ。かきねがこわれ、のきがかしいだぐらいのことでは、たちのく気にもなれない、というのがふつうの人情だ。たしょう住み心地はわるくなっても、雨風をしのぐのにかくべつ不便は感じないし、それになによりも馴れだ、習慣だ。はたの眼からはどんなに使いにくそうに見えても、また、どんなにきたならしく、あぶなっかしく見えようとも、わたしにとっては住みなれた、この家がいちばんしっくりくるのだ。間どりのぐあいや台所のつくりの不合理さ、そうした不合理な設計からくる日常生活の不便を、わたしはかくべつ不便とは感じていない。だぶだぶの出来あいの服にからだを合わせるのと同じように、生活のほうを家のつくりに合わせて暮らしをたてるというしだいだ。がんらい、生活のためにあるはずの家が、生活のありようそのものを規定していく、という関係がそこにうまれてくるのである。そして、やがてひとびとは、不便を不便として感じないばかりか、それを便利とさえ感じるようになっていくのだ。そこで、生活の便利のためにつくられたことばが、かえって生活そのものをしばりつけ、思想が生活のありようそのものを固定化させる、ということにもなるのだ。
 このようにして、もともとの生活の実際に合わせてつくられたことば(思想)が、世の中の進むにつれ、生活の変化するのにともなって、現実(世の中の実際)と矛盾するようになっても、それは現実のほうがまちがっているのであって、現実をうつしたことばのほうがほんものでほんとうだと考える、妙な錯覚を生じてくる。つまり、鏡にうつった顔がほんものの顔で、顔そのものは顔のまぼろしにすぎない、というわけなのだ。いまげんに、そうしたかんちがいをもとにした、さかだちした観念が、哲学や科学や芸術の世界で大きくのさばりかえっている。







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