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[台词脚本]『東京タワー』の翻訳(214) [复制链接]

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离线yamoli66
 

只看楼主 倒序阅读 使用道具 楼主  发表于: 2012-02-28

Ⅶ(31)

宴もたけなわになったあたりで、頃合いを見計らい、興が乗った時にだけ披露(ひろう)するオカンの芸がある。
こっそりと自分の部屋に戻り、オモチャの鼻メガネと入れ歯を装着。豆絞りの手拭いを破って顎の下で結び、踊りながら唐突に登場するのである。
不覚にもボクはそれを見るたびに、大爆笑してしまう。もちろん、他のオーディエンスの反応もバカウケだ。母親がバカなことをやっているという照れ臭さを飛び越して笑える。
なにがそんなにおかしいのかといえば、なにしろ一番大爆笑しているのが常にオカン本人なのである。もう、自分のやってることに最初っからウケちゃってて、腹を押さえてヒーヒー言っているのだ。それはずるい。というか斬新な芸風でもある。見ているこっちがつられて笑ってしまうのだ。
その鼻メガネや入れ歯はボクが小学生の時に駄菓子屋で買ったもので、ボクのものはなんでもすぐ捨てるクセにこれだけは三十年間、オカンの私物として保管されていたのだ。
つまり、この芸は三十年前から姉妹での旅行やココ一番の宴会で長年披露され続けてきたものなのであった。年季が違う。
「あたしがこれしたら、みんな絶対に笑うんやけん」
オカンもこの芸には自信とプライドを持っているようだった。

楽しい時間は、鈴が坂道を転がるように音色を残しながら足早に過ぎてゆく。なんでもない季節は油断しているうちに特徴を帯びてくる。
照れながら、はにかみながら、時にはギクシャクして起伏を作りながらも、それはゆっくりとなめされて、やわらかでなだらかな毎日を紡いでいったが、錘から外れた目には見えない糸(いと)は少しずつどこかでからまり始めていたらしい。
オカンは喉の手術以来、ちょっとしたことでもすぐに病院へ行くようになった。
雑居ビルの近所にある小さな内科医に毎週のように通い、自分の健康には細心の注意を払っているようだった。
「あの先生は丁寧に診てくれるし、ちゃんと話も聞いてくれる」
オカンが信頼を寄せたその医師は人当たりの良い柔和な人物で、小さな診療所の待合室には毎日、老人たちがまるで集会所であるかのように顔を並べていた。
本棚にはいつの間にかオカンが買い揃えたガンに関する書籍を増えている。


宴会到了高潮的时候,把握好那个时机,在这尽兴的时候,母亲就会公开演出其技艺。
她就偷偷地回到自己的房间,就带上玩具的夹鼻眼镜和假牙,把杂色的小毛巾蒙在颚下面,边跳着舞突然登场演出。
不觉之中每当看到这些,我都要捧腹大笑。当然其他观众反应也有冷淡的。母亲的所为让人感到低俗,但超越害羞地笑了起来。
怎么会那样可笑呢?概括而论,最能捧腹大笑的正是母亲本人的本性。对自己所做的事情从开始就捂着肚子啊呀啊呀地说。其花招很深。据说这是崭新的艺术风格。正在看着的我们被勾引着大笑起来。
那些夹鼻眼镜和假牙是我在小学生时从小店买的,我的东西经常是玩过之后马上就扔掉,这已经有三十年了,而母亲则当成自己的东西保管起来。
总之,这样的艺技从三十年前在母亲的姐妹们旅游或在一起聚会的时候长年连续演艺的东西。只因季节不同而不同。
“我要是这样表演,大家绝对会笑起来。”
而母亲对这种艺技抱有自信和自豪。

快乐的时间就像铃在坡道上转动时留下的音色那样,脚步快速向前走着。不要紧的季节在疏忽之中也带有一定的特征。
难为情地、腼腆地、偶尔生硬地表演出起伏,缓慢地处理着,柔软地平稳地度过每一天。在纺锤外肉眼看不见的丝有一些在什么地方开始纠缠起来。
自母亲喉手术以后,只要稍微有一点不舒服就马上去医院。
在杂居楼附近有一个小的内科诊所,每个星期都要去。对自己身体的健康开始细心地照看起来。
“那位医生诊断很认真,也叮嘱很多话。”
母亲所信赖的那位医生对人态度很温柔,在那小诊所的候诊室里,老人们简直就像在集会点那样并排坐着。
母亲购买的有关癌的书籍在书架上不知不觉地在增加着。
离线yamoli66

只看该作者 沙发  发表于: 2012-02-28
母亲的秉性很豪放,自由地表演自己喜欢的东西。