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[台词脚本]『東京タワー』の翻訳(196) [复制链接]

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离线yamoli66
 

只看楼主 倒序阅读 使用道具 楼主  发表于: 2012-01-29

Ⅶ(13)

そうやって渋茶をすすりながらしょっぱくなっているボクを見て、オカンは自分の部屋に戻り、引き出しから証書を入れる紙製の筒を取り出すと、それを持ってボクの前に座った。中には、ボクが五年間通った大学の卒業証書が入っている。
オカンはそれを広げると言った。
「これに貯金もなんも、全部使うてしもうた。これがあたしの全財産よ」

京王線笹塚駅は急行に乗れば新宿からひと駅。普通電車に乗っても初台、幡ヶ谷、そして笹塚となり、渋谷区にありながらも新宿に出る方が都合はよい。中野区と世田谷区の境目にも隣接していて、下北駅に行くのも代々木上原に行くにも歩けない距離ではない。
東西(とうざい)南北(なんぼく)十字型に商店街が軒を並べ、暮らすことにはとても便利な街だった。上原の方に筋を抜けると幡ヶ谷方面から通りに向かって続く小さな桜並木の遊歩道がある。とりたてて人の目を引くような遊歩道ではなかったが、オカンは桜の季節になると毎日、その小さな歩道を散歩するのが好きだった。
東京に住み始めて、ボクが不思議に思ったことは、大人が公園にいることだった。なにも遊具のない、ただ木々の繁った公園で人々がそれを眺めている。この人たちは普段、なにをしているのだろうか?なにが楽しいのだろうか?とそれを見ていた。
田舎の公園に大人はいない。鎖が錆びて座椅子が腐食したブランコ。穴のあいた滑り台。塗料の剥げ落ちた鉄臭いジャングルジム。その粗末な遊具に子供たちは群がり、雑菌の頻殖した砂場(すなば)で泥遊びをする。
公園にいる大人は酔っ払いか、もう、どこかおかしくなってしまった者で、ボクたちは公園に来る大人が怖かった。
しかし、東京のなにもない公園には大人しかいない。それぞれが遠くの緑を見つめて、なにかを思い出すような、またなにかを忘れようとするような目で静かにそこに居る。
東京に住む人々のほとんどは昔、色彩の乏しい自然の中で育って、その色相に飽き飽きしながら巨躯彩色の街へ引き寄せられた。
ところが、幾千色の街角を息を切らして駆け抜けていくうちに、その鮮やかであるはずの万華鏡が煤けた色に映り始める。灰色に赤。灰色にオレンジ。灰色に空色。すべての色にグレーは混ざり合って、目に見えるものの彩度を鈍く濁らせる。


看到喝着苦茶变得小气吝啬的我,母亲回到自己的房间,从抽屉里拿出了装有证书的纸袋,拿着那些坐到了我的面前。在那里面放有我读了五年才毕业的大学毕业证书。
母亲把那些东西摊开说:
“为了这些存钱或其他什么的,全部都用完了。这是我的全部财产。”

若乘京王线的快车从新宿出发到塚只有一站。若是乘普通电车,初台、幡谷接着就是塚了,因都在涉谷区去新宿都很方便。中野区和世田谷区相连,去下北泽或者去代代木上原,距离不远都能走得到。
在东西南北十字交叉街商店街在那里排列着,那是对生活非常便利的街道。穿过上原后从幡谷方面过来朝大街有连续的栽有很小樱树的漫步道,这并不是特别引人瞩目的漫步道。到了樱花季节,母亲每一天都喜欢在那小街道上散步。
刚住到东京的时候,我非常不可思议地在思考一件事情,那就是大人们在公园里这件事。什么可玩的东西也没有,公园里只是茂盛的树木,人们在那里看着那些树。这些人平时都在忙什么呢?他们在喜欢什么呢?而只是在看它们。
在乡下的公园里没有大人。有铁链生锈、座椅腐蚀的秋千,有已经有漏洞的滑道,还有涂料脱落生锈的攀登架等等,在这些粗糙的玩具里,成群的孩子们在杂菌繁殖的砂场玩着泥土。
在公园里的大人就是醉鬼,或者是在什么地方都是奇怪的人,我们这些孩子很害怕来公园的大人们。
但是,在什么也没有的东京的公园里也只有大人存在。各位远眺着远处的绿色,好像想出了什么,或者又忘记了什么似的,用那样的眼神安静地呆在那里。
居住在东京的人们几乎在过去的日子里全部浸泡在色彩缺乏的自然中长大,已经厌烦了那些单调的色彩,向往沉浸于色彩斑斓的街道。
但是上气不接下气地跑到千色的街角时,理所应当鲜艳的万花镜却映射出煤灰色,在灰色上有红色、橘色和空色,在所有的颜色上都混杂地涂上灰色,让人能看到的色彩变得浑浊起来。
离线yamoli66

只看该作者 沙发  发表于: 2012-01-29
只从公园的景象就反映出乡下人和城里人的差别。