论坛风格切换切换到宽版
  • 1018阅读
  • 4回复

[台词脚本]『東京タワー』の翻訳(183) [复制链接]

上一主题 下一主题
离线yamoli66
 

只看楼主 倒序阅读 使用道具 楼主  发表于: 2011-12-25

Ⅵ(31)

上京まで、オカンとまめに連絡を取った。
「家具とか持って来ても置くとこないよ」
「あぁ。なんも持って行かんよ。着替えだけしか持って行かん」
成り行きでことが始まり、どんどん具体的になってゆくにもかかわらず、まだどこかで、オカンがここに住むという現実感が湧かない。
ここにやって来ることはわかっているのだけど、ボクが学生の頃、オカンがたまに上京して来たように、しばらく居たら、また九州に帰って行くような気もしている。
それはやはり、オトンのことがボクの中で引っ掛かっているからだろう。オカンにとっても、オトンと暮らす方がいいのだと思っていたボクは、いつか実現してほしいその日のためのつなぎだと考えていたのである。
上京の日も近くなったある日。
なにげなく、ボクはその話をしてみた。ボクとオカンの間で、夫婦のこと、オトンのことを話すことは今まで一度もなかった。それは、知らないうちにお互いのルールのようなものになっていて、そうなった理由も、オカンはオトンとのことについてはまるで話さないことに始まりがある。
「東京に来るのは全然いいんやけど、オトンはどうするん?ふたりとも、もう年なんやけん、いずれはもう一回、一緒に住んだ方がいいんやないんね。いつかはそうしたらいいって、オレは思いよるけど」
電話口で大人ぶって喋るボクは、いいことを言っているつもりでオカンにそう言った。
顔の見えないオカンの声が一瞬、答えを言いよどんだ。そして、しばらくの間があった後、少し尖った口調でこう言ったのだった。
「……。オトンは他の女の人と住んどるんよ。もう、ずっと住んどるんやからね」
そんな単純なことをボクは考えなかったのか。オカンの口からそれを聞いた時、ボクはさっきまでの自分をマヌケに感じて胸が詰まった。
オカンのことを、ボクはまるで知らないのだと思った。
でも、その事実を知って、ずっと聞かされていなかったその話を聞いて、今まで宙ぶらりんだったオカンとの同居生活に対するボクの気持ちも、完全に腹をくくれる気合いが入った。
それを言ったきり、電話の向こうで黙り込んでいるオカンにボクは力強く言葉を掛けた。
「それやったら、死ぬまで東京におったらええ」


到东京前和母亲取得了具体的联系。
“带家具来也没有可放的地方吧。”
“啊,可别带别的东西来,只带换洗的衣服来即可。”
成行开始了,具体的事情向前推进,但是,母亲住在这里具体什么位置呢?这个现实问题涌现出来。
来到这里的事情已经明确了,可是我还是学生的时候,母亲也偶尔到东京来,只是暂时居住,但最后还是回到九州。
还是母亲的事情开始挂在我心中。对母亲来说,和父亲一起生活会更好的。我有这个想法时就想:什么时候能实现,要为那个时间联系起来。
来东京的时间越来越近。
在无意中,我想尝试说那些话。在我和母亲之间,一次也没有说过他们夫妇的事情和父亲本人的事情。让我不知道那事,像是成了两人的规则。因为那个理由,母亲从来也不说有关父亲的事。
“来东京当然是没有问题了,但父亲怎么办呢?你们两位年龄都已经大了,不管怎样再在一起生活一次不是更好吗?什么时候那样做都没问题的。我是这样想的。”
在电话话筒里一派大人模样讲话的我对母亲这样说,原打算是说成好事。
看不到模样的母亲的声音一瞬间停滞了。过了一会儿以后,稍微发怒的口气这样说:
“……。父亲和别的女人住在一起。而且已经住了很久了。”
我没有考虑这么单纯的事情吗?从母亲的嘴里传出那些话时,在我的胸中就想刚才的我是多么愚蠢。
我在想,母亲的事情我几乎一点都不知道。
可是,知道了那件事情,听到了那些一直没有听到的事情,到现在还一直吊着和母亲是否同居生活的我的心情完全进入下定决心状态。
说完这些,在电话那一端一直沉默的母亲,我加强语气对她说:
“那样的话,到死也要一直住在东京。”
离线yamoli66

只看该作者 沙发  发表于: 2011-12-25
父亲有了一独立生活,母亲不高兴,儿子也很生气!
离线yamoli66

只看该作者 板凳  发表于: 2011-12-25
要出差约一个星期,所以今天发表两篇。
离线skystar

只看该作者 地板  发表于: 2011-12-25
离线yamoli66

只看该作者 4楼 发表于: 2011-12-30
回 3楼(skystar) 的帖子
skystar:辛苦了 (2011-12-25 19:27) 

下午刚刚出差回来,谢谢你的问候!