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[台词脚本]『東京タワー』の翻訳(172) [复制链接]

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离线yamoli66
 

只看楼主 倒序阅读 使用道具 楼主  发表于: 2011-12-03
Ⅵ(20)

ボクにとっての初めての海外旅行が"オカンとおばちゃんたちと行くハワイ四泊六日の旅"だとは考えてもいなかった。
楽しいのか、そのハワイ?いや、もはやそういう問題ではない。なにしろ、むこうは「冥土の土産」と言う殺し文句を打ち出してきているのだ。断る術がない。
急いでバスポートの申請に行った。オカンもおばちゃんたちと一緒に役所へ出掛けてすでに手元にあるらしい。
姉妹では何度も国内旅行に出かけてはいるが、海外はもちろん初めてで、おばちゃんたちは口々に、「最初で最後やねぇ」と言う。
一番上のノブエおばさん、二番目のえみ子おばさん、妹のブーブおばちゃん。そして、えみ子おばさんの旦那さんの本田先生。そのふたりの息子である修さん。
修さんはつまりボクの従兄弟にあたるのだが、だいぶボクよりも年上になるため、そんなには一緒に遊んだ記憶もない。このハワイ旅行は添乗員の仕事をしている修さんが段取りをして、添乗もするらしい。そうでなければ、ボクらは出国することすらできないだろう。
どうせ行くならという発想と年寄りばかりなのでという問題が重なって、このハワイ旅行は高額でゴージャスなプランが組まれた。
借金は減っていたが、銀行の残高はいつも余裕があったためしがない。ありったけの金を引き出し、少しはまたどこかで工面して、オカン途ボクの旅行代金を用意した。
九三年の秋。オカンが甲状腺ガンの手術をした年。オカン六十二歳。ボクが三十歳になる直前。
ボクたち親子は生まれて初めての海外旅行を一緒に行った。
親子で行く、最初で最後の海外旅行に旅立った。
「九大の先生が、首のシワに沿って切りましたから、傷跡が目立ちませんよって言うんよ」
オカンはそう言いながら笑っていたけど、手術の跡が気になるらしく、何国に行くというのに、スカーフを首に巻いていた。
「フランケンみたいや」


对我来说从来没有考虑过这样“和母亲、姨姨们一起去夏威夷四晚六日的旅行”,是第一次海外旅行。
快乐吗?那个夏威夷如何?不,并不是那样的问题。无论如何,他们已经说出了是“带去阴间的礼物”这样甜言蜜语,实在是没有办法了。
急忙去办理了护照。母亲和姨姨们一起去了办公机关,他们都已经办理好了。
姐妹们在国内有过几次一起旅游,但去国外当然还是第一次,姨姨们几乎异口同声地说:“这是第一次也是最后一次。
老大是ノブエ,老二是えみ子,妹妹是ブーブ。还有えみ子的丈夫本田先生,还有其两位二儿子修。
修当然是我的姨哥,因为比我年龄大,所以在一起玩的记忆是没有的。这次夏威夷旅行,修是陪同旅行者,由他来计划安排,所以就成了陪同者。若不那样做,我们是完全不可能出国的。
为什么提出旅行设想和年龄大这两个问题,使这次去夏威夷旅行弄成了高额豪华的旅游。
借债在减少,但银行的存款总也没有。把所有的钱拿出来,还要稍微想办法筹措准备好母亲和我出国旅行的费用。
93年秋天,是母亲摘除甲状腺癌手术的那一年。母亲62岁,我即将到30岁。
我们母子,自我有生以来第一次一起去海外旅行。
母子一起去,是第一次也是最后一次到海外旅行。
“九州大学的医生说,沿着脖子的皱纹做了手术,伤痕很不明显。”
母亲是这样说着笑着,但还是注意到了手术的伤痕,但虽然要去外国,还要在那里系上围巾。
“真是像フランケン
离线yamoli66

只看该作者 沙发  发表于: 2011-12-03
母亲很开朗,对自己的癌症也不太在意。
手术之后,姨们还大胆地说,出去旅游是母亲去阴间之前的礼物。