今もよく覚えてる。
中学生の時、日本への憧れとか、日本語勉強への積極さとか。
あの時、毎回の日本語テストで、ずっとクラスのトップになるために必死
だった。「今度の日本語テストで成績一番高いのは~~」、次に自分の
名前が出たら、えらい幸せを感じたものだ。
中学校、三年生の時は仲良い三人の友達と約束しといた。
いつか三人で富士山の麓で会おうって。。。
高校の時は毎日が忙しくて忙しくて、日本語への情熱が半分下がったけど
日本という国への憧れには変わりがなかった。
高校三年生の時、北京外国語大学の日本語専門をめざしながら
頑張ったんだけど、残念ながら失敗というしまつだった。
人生中で始めての失敗で、すごくショックだったなあ。。。
そのまま大連の方の普通な大学にきた。
後悔なんかはしない。
大連とは日本と深い縁がある町だから。
大学で四年間、専門として日本語勉強した。
三年生の時に、貿易日本語を選んでからは、いろいろ
貿易に関する難しい日本語について勉強したもんだ。
社会に出てから、選んだ仕事が貿易と関係ないから
今の所はすべて忘れてる気がするけど。。。
学生時代は残念ながら日本にいけなかったけど、
社会にでてから、いつか必ず仕事の関係で日本に行く。