外白渡橋は、1856年にイギリス人の手によって架けられ、現存の鉄橋はその後1906年に架け替えられたものである。「外」は外国人、「白」はタダという意味で、俗説によると外白渡橋とは「外国人が渡るのはタダの橋」と言われる。
文久二年(1862)長州藩の高杉晋作は、幕府軍艦千歳丸に乗り込み上海に渡航している。千歳丸が上海に着いたの衔逶鲁跹韦长趣扦ⅳ盲俊8呱冀鳏巍高[清日録」五月十三日の記述に外白渡橋が登場する。
――― イギリス領事館から三十メートルくらい行ったところに橋があった。新大橋というのだそうだ。七年前に古い橋が落ちたが、シナ人が再建する力がないというので、イギリス人がこの橋をかけたのである。そのためにシナ人は、この橋を通行するたびに一銭を支払わなければならぬという。(奈良本辰也著 中公新書「高杉晋作」より)
晋作は、欧米人に侵食されていく中国の姿を目にして衝撃を受けた。これまでの晋作は文学であったり、剣の道であったり、或いは学問であったり、己の進む道を模索していたようにも見えるが、上海渡航を契機にして、以降彼は革命家として突き進むことになる。
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