世の中の全ての悪事を引き合わせて、考えて見ると貪、瞋、痴この三つに外れるものはない。なぜ、この三つがあるのか、人間は欲あるからである。
もちろん、欲というものは、人間の本能である。人間は生まれつき欲がある。欲は、人間進化の主な動力である。欲があるので、人間は働きに行くとか、発明するとか、貯金するとか、いろいろやる。それから社会、進化、文明がある。エジソンは人間が光をほしがっているので、電灯を発明した。こんなように、いろいろな欲があるので、社会の発展、人間の進歩が進んでいる。これは、欲のよい面である。
人生は短くて束の間である、あると思っている人は、今の社会にいっぱいいる。そんな人は、食欲とか性欲とか、こんなことことだけで満足している。
食欲と性欲は基本的な欲望ですから、非常に満足しやすい。食糧が大きい食客は酒一壺、鶏一羽、飯三杯、餅一枚さえあれば腹いっぱい食べられると思う。そうしたら、あと誰かがご馳走しても食べきれない。性欲といえば、精力がたくさんあっても女性10人ほどいれば、結構と思う。女性10人があったら、すごく誘惑があっても性欲が起きないですから、原始の基本的な欲望は対応しやすいのである。
一番難しいのは必要限度を超えて、長時間欲を抑えてすごすことである。今のお金を目当てにした社会は欲をすごしである。これは貧欲である。今の人間はお金も自らの能力も正しく理解していない。お金さえあれば、何でもできると思っている人がおおいである。お金については必要以上に素晴らしいものだと思う反面百分の能力はさほど偉い物だと思っていない。 お金を追求しすげて、賄賂とか、誘拐とか、悪いことをやる。最後に目的や意識を忘れく、手段、お金さえ目的であると思っている。
現在の青少年たちは拝金主義の人がおおいである。貧苦の生活を恐れる、お金だけをほしがっている。これは間違いである。貧苦は決して不幸ではない強い自助の精神さえあれば貧しさは返って恵みに変わる。自ら富を否定し、自らの力のみを信頼できる人間だけが成功するというのは富は安逸で勝手気ままな生活へと人間を強く誘惑する。しかも人間は誰でも生まれつき誘惑にめっぽう弱い。
ですから老子という人は満足しやすい人が楽しみやすいことを勧める。仏教を学ぶ人たちは単なる現象について議論を発表する。これは、たしかに正しいと思う。貧、瞋、痴を取り除く方法は貧欲を断つことである。
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自分で書いた議論文で、もしどこか間違えたところと論理的でない言葉があれば、教えていただくと、ありがたいのです。よろしくお願いいたします。