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[台词脚本]『東京タワー』の翻訳(177) [复制链接]

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离线yamoli66
 

只看楼主 倒序阅读 使用道具 楼主  发表于: 2011-12-14

Ⅵ(25)

九大で手術をする前から、オカンは筑豊のばあちゃんが住んでいた家に帰っていた。若松に借りていた家は、建て替えて家主さんが戻って来られることになり、オカンは結局、そこを出て、また自分は生まれた家に戻った。

ボクが小学校の頃、ばあちゃんとオカンと三人で住んでいた家。九人兄弟が生まれた家。じいちゃんが死に、九人の子供たちがみんな出て行き、ひとり残ったばあちゃんも死んで空き家になった家。
その家にオカンはひとりで戻っていた。定食屋で働きながら、そこで暮らしていた。
しばらくはひとりで、その生活を続けていたのだけど、鎌倉(かまくら)に住むオカンのすぐ下の弟、ボクが鎌倉のおじさんと呼んでいた親戚がその家に帰って来るという話になったらしい。おじさんは鎌倉で長年銀行に勤めていたのだけれど、定年を機に故郷で老後を過ごすため、奥さんと一緒に筑豊のその家に戻って来ることになった。二人の息子はそれぞれに神奈川で家庭を築(きず)いている。
とはいえ、オカンも他に行くあてもなく、仕事にも行かなければならない。
どういう話し合いだったのかはわからないが、鎌倉のおじさんが帰って来た後も、オカンはおじさん夫婦とそこに同居していたのだ。
ボクの方はといえば、方南街の家もそろそろ貸主が戻って来るらしい。元々、転勤になった貸主から期限付きで借りていた物件。だから引越し資金も少なく済んだのだ。
その貸主が予定通りの期間を終えて、この家に戻って来るらしい。ボクの場合がオカンの状況と違って、一日でも貸主と同居することは許されないし、お互いしたくない。
えのもとと次のねぐらを探さなければいけなくなっていた。
方南街は丸ノ内線で杉並区(すぎなみく)にあるが、ボクの住んでいいたその家は駅からも遠く、渋谷区(しぶやく)の京王線笹塚駅(ささづかえき)にも歩いて十分ほどだったので、実際には方南町ではなく笹塚駅を利用していたし、えのもとは笹塚駅近辺(きんぺん)の養老乃瀧でアルバイトをしていた。
笹塚駅付近の不動産に入り、物件を探した。東京に来てから、もう何回引越しをしたかわからない。引越し貧乏と言う言葉がある。あれは引越しをしすぎるからと言う意味に使われているし、本当はそれが正しい使い方なのだろう。ボクも人によくそう言われる。
しかし、ボクのように「貧乏」と「引越し」を両方の現場から体験した人間に言わせればそうではない。引っ越すから貧乏になるのではなく、貧乏だから引っ越さなければならなくなるのである。


在九州医大做手术之前,母亲回到了筑丰姥姥居住的地方。在若松曾经租的房子,翻盖之后房东又回来了。没有办法母亲最后又从那里搬了出来,回到了自己出生的家。
我上小学的时候,姥姥、母亲和我三人曾经一起住过的家。也是生了九个兄妹的家。姥爷去世之后,九个孩子长大各自出去,最后只剩下姥姥一人,现在姥姥也去世成了空置的家。
在那个家只有母亲一人呆在那里。她在套餐店劳动着,在那里生活着。
一个人在那里过那样的生活并不久,住在镰仓的母亲下面的弟弟,我叫作镰仓的舅舅的一家人要回到那个家去。舅舅常年在镰仓的银行工作,因为退休就要回到故乡养老,和夫人一起回到筑丰的家。两个儿子在神奈川各自建起了家。
总之,母亲也没有办法到别的地方去,而且还必须继续工作。
他们是不是有什么样的商谈我也不清楚,镰仓的舅舅回来以后,母亲和舅舅夫妇一起居住在那里。
而我这一方面呢,方南町的房东也很快就要回来了,原来从调动工作的房东那里借来有期限的房子。但搬家的钱也没有了。
按预定的期限结束了,房东回到了这个家。我的情况和母亲有所不同,连一天也不可能和房东同居一起住,相互都没有办法。
不得不和夏本一起搜寻下一个居住点。
方南街在丸内线的杉并区,我所住的房子从车站出来较远,到谷区的京王线塚站也要用10分钟,实际上不是看重方南町而是在利用塚站,夏本在塚站附近养老乃泷打工。
塚站附近继续搜寻房屋。到了东京之后真不知道已经搬了多少回家了。有“因搬家变穷”这个词。其被使用的意思是因为过度搬家而变穷了。它的使用方法是正确的。我也经常被别人说成这样。
但是,这并不是在说像我这样从“贫穷”和“搬家”这两种情景中体验出来的人,我并不是因为搬家而贫穷,而是因为太贫穷而不得不搬家。
离线yamoli66

只看该作者 沙发  发表于: 2011-12-14
因为搬家而变穷。也有另一种说法,因为穷而搬家。