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yamoli66 2012-07-28 14:48

『東京タワー』の翻訳(298)


Ⅸ(42)

食卓に座って、さやえんどうの筋を取りよるオカン。花柄の包装紙を切って糊で貼ってから、小さい封筒を作りよったオカン。電気も灯とんと、薄暗いとこで図書館の本を読みよったオカン。「ぷよぷよ」しよるオカン。
飯食いに行って旨いもん食うたり、新しい店を見つけるたんびに思いよる。
こんなん食わしてやりたかったねぇ、ここの焼鳥はオカン好きやろうねぇち、なんかあったら、いっつも、そげ思いよる。
京都に行って素敵なお店に入ったら、こげん所に連れてきてやりたかったねぇとおもうし、オカンくらいの年のばあちゃんが友達と旅行しよることやら見かけたら、なんで生きとる時にもっといっぱい旅行させてやらんかったんやろうかって後悔してから、いっつも涙が出る。
小さい時から、色んな所に住んだけど、食うもんと着るもんは、どんな家の子供よりも贅沢させてくれよった。オカンが自分のもんを買わんと、そうしてくれよったね。
行きたい学校も行かしてもろうて、卒業したらしたで就職もせんとぷらぷらしよってから、一万円、二万円ち、いつまでも仕送りしてもらいよった。オカンが色んなことでパートしよった金よ。
それなのにから、オレは結局、オカンになんもしてやれんかった。それはばっかりか、オカンにちゃんとした言葉も言えとらん。
東京に来てから、生活費やら小遣いやら渡す時も、もっと気持ちいい顔で、もっとようけあげればよかった。自分はよそでポンポン使いよるのにから、なんであんなんことしたんやろうか、なんで気持ちようできんやったんやろうか。
今やったら、もっとちゃんといろんな話ができて、いろんなもん食わせてやって、行きたいとこ旅行さしてやれると思うのに、なんでその時、せんやったんやろうか。
オカンの毎日は楽しかったんやろうか?

仕事はちっとマシになりよるけど、まだどうなるかわからん。オカンに見せられるようなもんも作っとらん。
相変わらずオカンが心配するような生活をしよる。オカンに話せんようなこともしよる。四十過ぎても嫁さんはおらんし、金もたいして持っとらん。車の免許ものうなった。


坐在饭桌旁在剥取豌豆角丝的母亲;在切开花柄的包装纸上粘上浆糊做成小信封的母亲;没有亮灯在黑暗处看从图书馆借来书的母亲;已经很浮肿的母亲。
到外面去吃饭一边吃着好吃的东西,或者发现一个新的餐馆时,也都这样想起母亲。
真想让母亲吃这样好吃的东西,母亲会喜欢这里的烤鸡肉串吧,别管有什么新发现,都会是这样想。
去京都走到一个新颖的小店,就真想把母亲领到这个地方来。当看到和母亲年龄相近的阿姨们和朋友们结伴旅行的时候,就想若还活着的话,会让你更好的到处旅游,就这样后悔起来而且还总流出泪。
从小时候开始,住过好多地方,但在吃的穿的这些方面,母亲让我比谁家的孩子都铺张奢华。母亲从来不给自己买东西,而却要给我买奢华的衣服和玩具。
我想去的学校就能让我去,即便是毕业了还没有工作却还到处游移不定的时候,母亲还总是给我寄一万、两万元。这些钱都是母亲在做各种零活时挣得的钱。
事情虽然是那样,但结果是,我什么也没有给母亲做。更有不对劲的是,也没有对母亲说上什么话。
到东京之后给母亲生活费或零钱的时候,母亲的心情都非常愉快,若能再多给点就好了。我在别的地方使劲地花,所以怎么那样做呢?为什么心情就那样不好呢。
如果是现在的话,就可以多说各种各样的话,也可以吃各种各样的东西,也可以到想去的地方旅行,为什么那个时候不做呢?
母亲的每一天都是快乐的吗?

工作也逐渐增加起来,但到底会发展成什么样却还不清楚。也没有做成母亲所希望的状态。
还照旧过着让母亲操心的日子。还想着给母亲说话。已经过四十的人了,但还照旧没有媳妇,钱也还不多。但汽车的驾照已经拿到手了。

yamoli66 2012-07-28 14:49
因为感情深,因为对母亲的依赖性强,所以还在那样深情地不停地思念母亲。


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