yamoli66 |
2012-07-14 20:40 |
『東京タワー』の翻訳(295)
Ⅸ(39)
オカンはその類の懸賞に応募するのが好きだった。そして送る時はだいたい年齢の欄に二十歳くらいサバを読んだ数字を書き込んでいた。 「なんでそんなことする?」と尋ねると、「年寄りには当たらんような気がする」と暗い発言をしていたものだ。 オトンは変わったのだろうか?オカンならともなく、そんな庶民的な楽しみに嬉々(きき)としている姿を見て意外に思った。丸くなったのだろうか?それとも元々そういうところのある人だったのだろうか?ずっと、一緒に住んでいるという人と、そういう楽しみを共有し、自分の家の中に青い鳥を見つけているのだろうか? 両親のことでボクの知らないことはまだまだたくさんあるようだ。 財布からぽち袋を出してオトンに渡した。 「これ、お年玉」 「お父さんにか?」 「オカンにやる分、代わりにやる」 「へぇ。もう何十年も貰うたことなかったのう。ありがとう。へぇ」 オトンは照れ臭そうに笑った。 「もう、行くわ」 「そうか。頑張れよ」 「うん」 「また、命日には東京に出て行くごとするけんの」 「わかった」 鞄の中のオカンと一緒にボクはまたこの街から東京へ向かって新幹線に乗った。 一日の平均乗降者数が百七十五万人といわれる東京駅に、百七十五分の一、その中のひとりとしてボクは到着する。 銀座の歩行者天国、浅草仲見世通り、新宿アルタ前、池袋サンシャイン通り、原宿、表参道、六本木通り、渋谷スクランブル交差点。 ネオンに集まる蚋のように、今日も東京には、どこからか人が集まり溢れかえっている。 それぞれが、その辺りの水溜まりで湧いた蚋のように、ひとりで生まれ、ひとりで生きているような顔をしている。 しかし、当然のことながら、そのひとりひとりには家族がいて、大切にすべきものがあって、心の中に広大な宇宙を持ち、そして、母親がいる。 この先いつか、或いはすでに、このすべての人たちがボクと同じ悲しみを経験する。 ボクは幾重にも交差する横断歩道の上で、流れ行くほどに行き交う人々を眺めながら、今までだったら単に街の風景でしかなかったそのひとりずつが、とても大きく見えた。 みんな、すごいな……。頑張ってるだなと。人が母親から生まれる限り、この悲しみから逃れることはできない。人の命に終わりがある限り、この恐怖と向かい合わずにはおれないのだから。 母亲非常喜欢收集那种类型的奖品。而且送的时候在年龄栏里写入隐瞒20岁的数字。 “怎么会做那样的事情呢?”遇到这样的提问时,就偷偷地说这些:“自己还没有认为自己的年龄这么大了。” 难道父亲已经变化了吗?看到母亲不知不觉中做那样的平民的快乐行为,父亲就有意外的想法。变得和蔼了吗?还是本来就是那样的人呢?一直和居住在一起的人共有那样的快乐,看到在自己的家中有那样的幸福。 有关父母的事情,我自己还不知道的事情是不是还有很多呢? 从钱包里拿出小袋子给了父亲。 “这是新年的礼物。” “是给爸爸的吗? “这是交给母亲的那一份,就代交给你吧。” “哎,几十年了,可没有领到过这样的东西呀。太感谢了。哎。” 父亲害羞地笑了起来。 “好了,我这就走了。” “好吧。加油吧。” “是的。” “还有,在周年的时候一定要再来东京。” “是的。” 和背包中的母亲一起乘上了新干线从这里出发去东京。 在一天乘坐人数平均达175万人次的东京车站,作为这175万分之一的我也来到东京了。 先后经过了银座的步行者天国、浅草仲见世大街、新宿、池袋大街、原宿、表参道、六本木大街、涉谷人行道交叉点。 就像飞虫集中在霓虹灯管那样,今天也一样从各地来的人挤满了东京。 各位就像集中在地面水上的飞虫那样,装做出一番各自出发各自生存的模样。 但是,那是当然的事情了。每个人都有自己的家族,都有很重要最基本的东西,在自己的心中有广大的宇宙,而且还有自己的母亲。 在这之后的什么时间,或者已经实现了,这所有的人和我一样都要经历相同的悲痛。 我在这宽宽的人行横道上,看着往来的人流。现在也只看到了街的风景,变得那么宽广了。 大家都是那么伟大。都在努力中。人可以受限从母亲那里出生,但不可能逃离这样的悲痛。人的生命会有终点的,但不可能不遇到这样的恐怖。 |
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