yamoli66 |
2012-06-13 18:27 |
『東京タワー』の翻訳(274)
Ⅸ(19)
東京に暮らし始めても、オカンはずっと物のない時代に生まれた田舎のばあさんのままで、客であるとかいう以前に、社長も学生もみんなお腹がすいていると思い込んでて、食べられることがなによりも一番いいことと信じていた。 「食べんしゃい」 そう言って自分は冷たい御飯を食べていた。 柔和な顔立ちの住職はまだ四十代くらいだろうか、若々しい佇まいがありながらもお経を唱(とな)えるその音質は豊かな落ち着きがあった。 木洩れ陽の差す部屋の隅々に、お経が響きわたる。静静とした空気が、誰にとっても不慣れなこの家の中に染み入る。 「これからお母さまは荼毘(だび)に付されますので棺柩に生前お好きだったものを入れて差し上げて下さい」 葬儀社の中年男性が言う。 弔問客のひとりひとりが入れてくれた白百合の花弁で、オカンの身体は白い花びらに包まれた。みんなで写った写真、ウサギのぬいぐるみ、花札、手紙を書いてきた者はそれぞれに花びらの奥へと納めた。ボクもオカンに手紙を書いて入れた。 ボクは今まで、オカンにちゃんと「ありがとう」と言ったことがあるのだろうか。 小さなこと、大きなこと、毎日のことやこれまでのこと。そのひとつずつに言うべき感謝の言葉も、それはいつの間にか当たり前のことになってしまって、最後まで言葉で伝えることができなかった気がする。 これまで苦労させたことも、迷惑をかけたことも、心配させたことも、それはいつかお返しができるものだと思って、ほったらかしにしていた。でも結局、それができないばかりか、ひとこと「ありがとう」と言えなかった。 希望を込めて想う"いつか"はいつまでも訪れることがないのかもしれないけれど、恐れている"いつか"は突然やってくる。 "オカン、ありがとう" 手紙でしか言えなかった。生きとる時に言うてやったら、どんなにか喜んだやろうのにから。 尽管是来东京生活了,但母亲还保持着出生在无物质生活保障的那种乡下那种阿姨的状态,别管是社长还是学生只要有客人来就认为大家都还是空腹饿着状态,只要能吃下去比什么事情都是第一重要的。 “不吃了。” 只要这样一说,她自己就吃那剩下的多余的冷饭。 脸色温和的住持人也就40来岁吧,看上去非常年轻,唱经的音质非常洪亮沉稳。 透过树木的阳光零碎地照在屋里,唱的经在回响着。空气是那样的沉静,沉静地对谁都不适应,浸入到房中。 “这之后就要火化了,请把她生前所喜欢的东西放入到棺材里吧。” 礼仪社的中年男子这样说。 吊唁的客人们一个一个地往棺材里放白百合花的花瓣,母亲的身体被白百合花包围着。持有合影照片、布制兔子玩偶、花纸牌以及写了信的人们把那些扔到花瓣中。我也给母亲写了信。 我至今为止,给母亲正式说过“感谢”这样的话吗? 小的事情、大的事情、每天的事情、至今为止的事情,对其每一件事情都必须要说感谢的话,那是理所应当的事情,但到现在却不能用语言表达传递了。 对那些劳作的事情、麻烦的事情、操心的事情,那是理所应当给予报答,但最后却是弃置不顾。结果是不但没那么做,却连一个“感谢”都不能说。 带有希望的“什么时候”也不回来造访的。但是恐惧的“什么时候”却突然来临。 “母亲,感谢您!” 也只能用信来表达了。如果在活着的时候说的话,会是多么地高兴呀! |
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