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yamoli66 2012-05-26 14:53

『東京タワー』の翻訳(261)


Ⅸ(6)

二十一世紀になって初めての春。六十九歳だったオカン。来月の十八日に七十歳になるはずだったオカン。
『オカン、今年七十やないね』
『どうするかね。あんたもう、いつ死ぬかもわからんばい』
『オカンは死にゃあせんわ。百まで生きるばい』
ボクの一番大切な人。たったひとりの家族。ボクのために自分の人生を生きてくれた人。
ボクのオカン。
オカンが死んだ。
その日、東京は突き抜けるような快晴で、青空がどこまでも広がる中、赤羽橋の交差点から、真っ赤名東京タワーが空にはしごをかけていた。
ボクが子供の頃から一番恐れていたこと。宇宙人の襲来よりも、地球最後の日よりも恐れていたこの日。
大きな手帳を持った黒装束の道化師(どうけし)が、ボクと病院に背を向けてどこかへ歩いて行くのが見えた気がする。
悲しみの始まりと恐怖の終わり。
死後の処置をするからと病室から出され、オカンの着替える洋服を一着持って来るようにと言われた。
車で笹塚に戻り、オカンの部屋に入るときれいに片付けられたそれぞれからオカンの匂いがする。そのひとつひとつの中で笑っていた、オカンの残像が見える。
オカンのお気に入りのワンピース。何年も何年も前に小倉の玉屋で買った茶色いチェックのワンピース。襟の所だけ無地のベージュに仕立ててあって、なにかの時はいつもこれを着ていた。
東京の人から見たら田舎くさい服かもしれないけれど、オカンのお気に入りのワンピースだった。ボクはそれを着ている時のオカンのはにかんだ顔を見るのが好きだった。
そのワンピースに合わせて、ハンドバッグと靴も探した。
オカンはハンドバッグが好きで、小遣いを上げるといつも近所の商店街でハンドバッグを買って来て、ボクに見せた。
「一万八千円のが、六千円になっとったんよ」
いつもそう言って安物ばかり買って、自分のものは定価で買ったことがないオカン。


进入21世纪的第一个春天,母亲才69岁,到下月18日母亲就70周岁了。
“母亲,现在还没到70岁。”
“这要怎么办呢。你也不知道什么时间死。”
“母亲还没有死。要努力生活到100岁。”
我最重要的人,也是唯一的家人,为了我而奉献了自己一生的人。
我的母亲。
母亲死了。
那一天,东京的天气非常晴朗,在那晴空万里之中,从赤羽桥的交叉点开始,通红的东京塔像梯子那样,直耸天空。
我从孩子那个时候开始就一直最害怕的事情,与宇宙人来袭击相比,与地球的最后末日相比,这是最恐怖的日子。
让人感觉到,手拿大笔记本穿着黑色衣服的小丑和我一起背朝医院要向什么方向走去。
这是悲剧的开始和恐怖的结束。
因为要处理后事,就从病房移了出来,曾告诉我也要把母亲更换的洋服拿来了。
开车回到塚,进入到母亲的房间,都已经收拾整理成很好,到处都有母亲的气息。能在每一个物品当中都能看到在笑中的母亲的遗像。
母亲称心满意的连衣裙,不知在多少年前从小仓的玉屋购买的茶色方格子的连衣裙。只在领子的地方是素色的茶色,无论什么时候都穿这一件。
用东京人的眼光来看会认为这是乡下土味很重的衣服,但那是母亲最满意的连衣裙。我也非常喜欢穿那件衣服的母亲羞怯的脸庞。
寻找到了和那连衣裙相配称的手提包和鞋。
母亲也非常喜欢手提包,每当给了母亲零花钱的时候,她就到附近商店买手提包,买回来还让我看。
“标价是一万八千元,被砍成六千元了。”
总是这样就只买便宜的东西,自己的东西从来没有按定价买来的,母亲就是这样的母亲。

yamoli66 2012-05-26 14:55
出差一个星期,日语学习也停止一个星期。昨天晚上赶回来,今天继续学习。


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