yamoli66 |
2012-03-25 20:57 |
『東京タワー』の翻訳(231)
Ⅷ(8)
看護婦さんに話をして、広い洗面室を貸してもらった。その日は快晴で洗面室の小窓からはターコイズブルーの青空と東京タワーが額縁には嵌れた絵のように見える。 シートを敷いて椅子を置き、大槻さんの持ち込んだ道具を並べると、殺風景だった洗面室はまるで小さな美容院のようで、看護婦さんや他の患者さんが覗きに来ては「まぁ気持ち良さそうねぇ」と声を掛けていく。 食欲もなく、点滴を打ちながらのことだったけれど、女の人の気持ちというのはこうしたことだけでも元気や勇気がでるものらしく、その時のオカンの顔はとても晴れやかで、まるで病気のことなど忘れてしまったかのようだった。 ボクはその様子を隣で眺めながら、何枚か写真を撮った。ファインダーの中には、元気だった頃と同じ表情のオカンがいた。 オトンとオカンが別居してからこれまで、ボクは何回オトンに会っているのだろう。子供の頃は小倉のばあちゃんの家に泊まるたび顔を合わせていたけれども、それは何日くらいあったのだろう?卒業などの節目にあたればオトンなりの父親的発言をするためにやって来た。 そして、今はオカンがガンで入院するたびに会うことになる。この七年間、オカンの病気事以外で話をしたこともない。 別居して三十年以上、戸籍だけとプラスアルファの夫婦関係と親子関係。その紙一枚だけで繋がっている家族という間柄(あいだがら)を一番強く意識していたのは、もしかしたらオトンなのかもしれない。 ボクの進路やオカンの病気。父親、夫として最低限の役割、その義務だけは果たそう、やらなければならないと強く思っているのだと思う。 小倉から東京に来れば少なくとも一週間は滞在する。その間の仕事はどうしているのだろうか。事務所の電話がいつも転送されていることを考えると、以前のように派手にやっているのでもないようだ。 オトンはいつも、なにをしているのだろうか?その疑問はボクが子供の頃から持ち続け、解明することのない謎だった。それ以前に、どこで、誰と住んでいるのかさえ知らない。電話番号さえ、最近知ったくらいなのだから。 そして、今回も上京するにあたって直前に連絡してみたところ、その電話越しの第一声はオカンの病気を尋ねるでもなく、こういう台詞だった。 「リアップでのォ、毛が生えたぞ」 经与护士商量之后,借用了一间较大的洗漱室。那一天万里无云,透过洗漱室那小窗户看到蓝色的晴空和东京塔,那景象就像镶嵌在装饰框里面的绘画那样。 把位置弄好,摆好椅子,摆好大概所带来的工具,这个不太合适的洗漱室简直成了比较小的美容院,护士们和其他患者来这里看一看就嘟哝说出:“啊,真是太好了!” 没有食欲,只凭着打点滴。女人们的精神,就凭这一点做法就很健康很有勇气,那个时候的母亲满面红光,好像完全把病的事情忘掉了。 我在旁边看着母亲的样子,拍了几张照片。在那些照片中,母亲的表情和健康时候一样。 自从父亲和母亲分居以来,我也见过几次父亲。小时候在奶奶家住宿的时候,也能见面,但那也不过只有几天的时间吧。在毕业等那些重要时刻上,父亲只有在作为父亲要讲话发言时才能出现。 还有,现在母亲因为癌症每当入院时也能见面。在这七年间除母亲的病情之外没有别的话可说。 分居三十年以来,只有户籍关系和虚假的夫妇关系、父子关系。只因为是那一张纸还在保有着这个家族关系,最强有此意识的也只不过是父亲而已。 强烈地意识到,因为我个人的发展和母亲的病情,作为父亲和丈夫必须要发挥其最低限的作用和义务。 从小仓到东京来,至少要住一个星期。这期间他的工作到底会怎么样呢?考虑一下总是通过电话传递来处理些事情,和以前一样总是在玩花样。 父亲到底平时是在做什么呢?这个疑问从我做小孩的时候起就一直存在着,到现在还是个没有解开的谜。在以前,连在什么地方和谁住在一起都不知道。其电话号码也是现在才知道的。 而且,这次到东京来,直接电话联络的时候,在电话的那一段说话的第一声并不是问候母亲的病情,却说出了这样的话: “在秃顶的脑后部长毛了。” |
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