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yamoli66 2012-03-11 17:48

『東京タワー』の翻訳(223)


Ⅶ(39)
  下北の寿司屋は値段もいいことを知っているオカンは、こんな時にでも庶民的な料金の地元の寿司屋に行きたいと言い張った。
カウンターの奥にある狭い座敷に上がって刺身をつまみながらビールを飲む。
「ここは、刺身もにぎりもネタが大きいけんねぇ。こげ厚く切りよったら儲けがないっちゅうくらいあるばい」
座敷の隅には職人の私物や段ボール箱が積み重ねてある。その隣でオカンは刺身の大きさにはしゃいで見せたが、それを二、三切れ口にしただけで、ビールは舐めるほどしか口にしなかった。
ココに来る前に、電話でミッチャンとオカンがこれからの治療などについて話あっていた。オカンの病気と闘うモチベーションが下っていることを気にしているミッチャンは座敷でオカンの前に座り、ずっと励まし続けている。
ミッチャンの旦那の泰さんも冗談を交えながら、オカンに頑張るよう言ってくれた。
ノブエおばさんの娘であるミッチャン。長女のノブエおばさんにオカンは本当にかわいがってもらっていたのだけど、その上、このミッチャン夫婦も、なんで人のオカンのためにここまでしてくれるのだろう、というくらいに心底オカンのことを考えてくれる。
今までオカンと何度くらい外食したことだろう。筑豊にいた小学校の頃は、街に一軒だけ焼肉屋があって、ボクはそこに連れて行ってもらうのが楽しみだった。ふたりで向かい合って座り、ロースターの上で焼かれた肉は、ほとんどボクの小皿へオカンは入れた。
高校に入って別府のアパートでひとり暮らしを始めた時も、時々オカンは別府に来て、うなぎ屋さん、洋食屋さん、「いつもちゃんと食べよるんかね!」と聞きながら色んな店に連れて行ってくれて、自分の食べているうなぎをいつも半分箸で割って、ボクの重箱に入れてくれた。
東京に来てからは車に乗ってボクが連れて行った。ふたりで行ったり、みんなで行ったり。
ラーメン。広島風お好み焼き。ホルモン。中華料理、天ぷら。寿司。焼鳥。おでん。居酒屋。洋食屋。ステーキハウス。
オカンが作らないような料理の出るところを回って、コーヒーを飲んで帰る。
一緒に色んな所へ出掛けて御飯を食べた。
そして、この座敷に段ボールの積んである寿司屋。ほとんど食べきれずにビールを舐めていたオカン。
この店がオカンとボクとが一緒に外食した最後の店になった。


母亲深知下北的寿司店的价格非常低,所以在这个时候,她还是固执己见地要去普通老百姓所能承受的价格便宜的地方。
坐到柜台里面一个很狭小的房间,手里拿着生鱼片喝着啤酒。
“这里呢,生鱼片、手把等其原料都很大。把外部烧焦的剔除掉,所剩下可吃的就几乎没有了。”
在房间的角落里摆放着手艺人的东西和纸箱子。坐在其旁边的母亲也不注意生鱼片的大小,把它切成二、三片,而喝啤酒也只能用舌舐着往口里咽。
来这里之前,母亲用电话和ミッチャン交流了今后治疗的有关事情。注意到母亲和病情抗争的动力在下降,她坐在母亲对面,一直在激励着鼓励着。
ミッチャン的丈夫泰先生也在快乐地交谈着,劝着母亲要努力要顽强。
ミッチャン是大姨ノブエ的女儿。大姨对我母亲非常好,不仅如此,ミッチャン她们夫妇也对母亲做到这一点,从心眼里都为母亲着想。
到现在,和母亲到外面吃饭有好多次了。在筑丰上小学的时候,在那镇上只有一家烧烤店,把我领到那里去当然非常快乐。两人对面而坐,母亲把放在烧烤器上烤的肉几乎都要放到我的小盘里。
我上高中时在别府公寓开始自己生活的时候,母亲也时常来到别府。“要经常这样吃呀!”。一边问着一边领我到鳗鱼店、洋餐店等各种食店,经常把正在吃着的鳗鱼用筷子分开放到我的饭盒里。
来到东京后,乘车我领着去。或者两个人或者大家一起。
面条,广岛式的烧烤,荷尔蒙,中国餐,油炸食品,寿司,烧鸡,杂烩等,先后到小酒店,洋餐店,烤肉店等。
走遍母亲所不能做的各种饮食店,喝完咖啡才回来。
一起去各种地方吃饭。
然后,在这个房间是用纸箱子堆积的寿司店,母亲几乎在不能吃的状态下舐一舐啤酒。
这个店成了我和母亲一起在外吃饭的最后一个店。

yamoli66 2012-03-11 17:50
在外吃饭也是人们生活的一种方式。
和母亲在这个小店吃饭竟也成了纪念。


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