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[台词脚本]『東京タワー』の翻訳(291) [复制链接]

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离线yamoli66
 

只看楼主 倒序阅读 使用道具 楼主  发表于: 2012-07-10

Ⅸ(35)

明けましておめでとう。去年は一緒に正月ができんやったもんねぇ。
神社に向かい初詣での行列に並ぶ。二年前は赤坂の日枝神社に行ったね。明治神宮に行ったのは何年前やったろうか。
拝殿に続く幅広い行列を真幅から横断しようとするヤクザの集団。行列の人々は打ち合わせでもしてあるかのように自然な働きで横断道を開けた。
俳優でもやらないようなツヤをつけながらゆっくりと人垣の間をヤクザは練り歩いた。
なんも変っとらん、この街は。
翌日は若松のおばちゃんたちに位牌を見せに行き、大分の由布院へ向かう。一年で一番混み合うであろうこの時期に予約なしでも泊まれるようなところをプレハブの宿泊紹介所から斡旋(あっせん)してもらうが、思いのほかいい宿が取れたことに驚く。
別府におった頃が懐かしいねぇ。オカンは温泉が好きやったね。
しばらくそこで過ごし、小倉に戻ってオトンと小倉のばあちゃんに会いに行った。
ボクが生まれ育ったあの動物園の近くの家にはもう誰も住んでいない。そして、その動物園は閉園したらしい。
町外れの森の中。今、ばあちゃんはここに老人介護施設にいる。
老人性痴呆症が進んでいるらしい。
久しぶりに見るばあちゃんの顔。九十になるが身体は元気なようだった。
「ばあちゃん。オレのことわかる?」
ばあちゃんはボクに頭を下げながら言う。
「あぁ、どうも」
オトンが苦笑いをした。ボクだけでなく、もう、オトンのこともわからないらしい。
ばあちゃんを車椅子に座らせて施設内を散歩した。そこにいる老人たちはみんな同じ長さに髪の毛を切り揃えられ、白いポロシャツ、紺色のキュロットを穿かされて、全員が中国の卓球選手のようないでたちだ。
介護士の人に貰ったゼリーをスプーンで口に運ぶと旺盛にそれを食べながら、色んなことを喋っている。
「ばあちゃん、久しぶりやねぇ」
「そうですねぇ」
通じているのかどうか、わからない。
「敦ちゃんは、どこかね?」
「ねぇちゃんは、今日はおらんよ」
意識の中に現在はなく、膨大な数の記憶が時系列なしにシャッフルされて一枚ずつ今に出され、そこにある言葉を喋っているようなだった。
ばあちゃんとオカンの確執についてはなにも知らなかったし、知ったとしてもばあちゃんを責める気もない。悪意は誰の中にもなかっただろうし、ただ、大切なものが違っていただけなのだと思う。


新年快乐!去年我们是一起度过正月的。
我站在去神社首次参拜的行列之中。两年前去过赤坂的日枝神社。去明治神宫那已经是几年前的事情了。
在前殿连续排列着的很长的队伍,从侧面横切走来一个表演团。排列的人们像提前商量好似的自发地让开了通道。
也不像是俳优她们表演风流事那样,在人群的中间开始缓慢前进。
这条街什么变化也没有。
第二天去让若松的姨她们看牌位,就是去大分的油布院。一年之中这是人最多的时候,由于没有预约但通过介绍所斡旋一番之后也可以住下。在这种状态下能住下来,真让人不可思议。
也在眷恋着生活在别府的时光。母亲非常喜欢温泉。
在那里稍歇息一下,回到了小仓,这是为了和父亲、奶奶见面。
生我养我的距那个离动物园很近的家里面,现在谁也没有住。而且那个动物园也已经关闭了。
在郊外森林之中,现在奶奶在这里的养老院中。
老年痴呆症在加剧发展。
奶奶的脸没有变化,还像很长时间前看到奶奶的脸那样。奶奶虽然已经90岁了但身体还很好。
“奶奶,还记得我吗?”
奶奶对我低下头说:
“啊,你好!”
父亲在苦笑着。不仅仅是对我的事情这样模糊,连父亲的事情也已经不记得了。
让奶奶坐到轮椅上在养老院内散步。生活在那里的老人们大家头发都一样长,穿上白色的短袖衫和绀色的裙裤,全体就像中国的台球选手那样打扮。
从护工那里领来了果冻,用勺子把果冻送到嘴边时,奶奶很兴奋地吃起来,也就开始说很多话了。
“奶奶,好久不见了。”
“真是那样了。”
到底是不是可以交流了呢,我还真不明白。
“敦子在哪里呢?”
“她现在不在。”
意识当中并不是现在这个时间,在无限的记忆中就像无时序地拿出一枚扑克牌那样,把那里的事情开始讲起来。
奶奶和母亲不合之事,我一点也不知道,即便是知道,也无心来责备奶奶。她们谁也没有恶意吧,但是,也只是意见有所不同罢了。
离线yamoli66

只看该作者 沙发  发表于: 2012-07-10
高龄的奶奶已经记不得她自己的儿子,当然也更记不得来往不多的孙子了。