2008年4月6日(日) 上海曇り時時晴れ 26℃-14℃
「樱花,从初绽蓓蕾直至花瓣落尽樱树婆娑…它的每一个表情都娇美无比!・・・・・・自己错过了云蒸霞蔚如雾如云的樱花盛开时节,不免内心几分遗憾、几分失落……尽管身有不适亦能近距离观赏今春樱花余下的生命里程。三天来,“櫻吹雪”一日胜一日,眼见着那满树花在渐渐地变成满树叶,一派不可遏制的凋零景象……——与隆盛的失之交臂,让我有机会细心地去面对颓败。无可奈何花落去,而我心愉悦,则凋零亦美。那飘飘落地的樱花,在残败中绽放着它的另一种美…… 」
これらの桜の写真を見ている時、思わず今日は友達が書いたこの文章を思い出しました。
以前は日本の桜の美しさを聞いたことがあります。自分の目で見ていなかったけど、よくテレビや写真で桜を見たから、その美しさが良く分かると思っていました。ところが、桜の美は身近の友達にこんなに綺麗な措辞で形容されたとは、まだはじめて見ました。
良くテレビや写真で桜を見た事はありましたが、この花がどうしてそんなにも日本人の心を捕らえるのかが、私には分かりませんでした。これまで、私がテレビや写真で見て知っていた桜は動かない桜でした。
上海では桜もありますけど、家の周りの桜樹が小さくて、実感が未だ湧かなかったので、美しく咲いてすぐに散ってします桜を、私は知りませんでした。花の美しさもさることながら、その命の短さが人の心を捕られるのと言うことが、自分の目で桜を見ていないと分かりません。人の心を打った魔力を持つ動く桜が自分の目で見たいです。
普段は見慣れているものは、まったく逆の形に見えた物が少なくないでしょう?立場を変えて、見方を変えて、考えてると、いつも見ている物が、それまでとは全然違う形に見える事もあるんですよね。私が見ているのは、あくまでも、物の一面に過ぎないんだと思っていました。
友達が書いたこの文章を見てはじめて、世の中に、このような姿や形は知っていても、動く美しさを知らない『桜』が、世界中には未だたくさんあるんだろうなと強く感じました。
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