仰山堂の側に鉄製の獅子像があるが、これは元代に河北省安陽県で作られたものと言われる。獅子は雌雄一対になっており、子供をあやしているのが雌で毬で遊んでいるのが雄。この獅子像から三稲堂と仰山堂の間を見ると、瓶の形をした門が二重に見え、更に奥には木が見え、空間が面白く演出されている。
獅子像の先には遊廊と呼ばれる回廊がある。中国の庭園においては建物と建物の間はたいてい廊下で結ばれているが、これは次の建物への経路を示しているだけでなく、庭全体が回廊から見ても美しいように構成されており、景色を楽しむポイントともなっているのである。この遊廊からは右手に山水画のような筑山が見え、左手には風俗画のように東屋、池などが広がる。回廊の中ほどに、大きな太湖石が置かれている。付けられている名前は美人腰。更に奥に進むと藤棚があり、左手の壁に200年前に作られた彫刻が掛けられている。背が低く髭を生やし、杖をつく老人は人間の寿命を司るといわれる寿老人で、その上が観音菩薩、右が中国仏教の開祖と言われる達麿大師である。
複廊藤棚の先を右に曲がると右手に魚楽xie(木辺に射)という東屋がある。ここから東に流れる渓流が洞窟にでも注ぎ込むように見せて景観に変化を与えている。昔はここで見合いが行われたとも言われる。男女のいずれか片方がここに座り、前方の廊下を歩いてくる相手を待ったそうだ。
次に複廊と呼ばれる二重廊下がある。向かって右側が男性用で、天井が高く作りも良く、太湖石の庭と渓流を望める。左側の女性用通路は低く板張りの天井であり、庭はよくみえない。両廊下を遮る壁には様々の形の穴が空けられている。これは、窓の形を変えることによりそれぞれの窓からの景色を違ってみせようという工夫である。
万花楼廊下を抜け左手の建物は、1843年に再建された万花楼である。万花楼は「花でいっぱいである」という意味で名づけられたのだろう。この建物の扉や窓には、竹、蘭、菊などの彫刻が施されている。中の家具は200年以上の歴史を持つ。庭に立つ銀杏の木は豫園設立当初からあると言われ、樹齢は400年を超える。
点春堂点春堂は1820年に建てられた花糖飴業の公所であった。1853年に太平天国の乱に呼応して小刀会が武装蜂起したが、ここにはその本部が置かれていた。小刀会失敗の後の破壊されたが、1868年に再建された。宴会・観劇用に使われ、堂正面の小さな舞台で劇が上演された。現在は、小刀会関係の資料が展示されている。
龍壁点春堂と万花楼の間の壁上部は龍で装飾されている。龍はもちろん想像上の動物であり、よく見れば、頭は牛、角は鹿、口は馬、爪は鷹、身体は蛇、鱗は魚に似ている。口には玉をくわえている。龍は玉がよほど大好きで、玉をくわえた龍はよだれを垂らしてしまう。そのよだれを喉元の蛙が待ち受けている。龍は皇帝の象徴であり、臣下は龍の装飾を用いることが禁じられていた。しかし本来龍の爪は5本であるのに対しここの龍は4本爪となっている。豫園の持ち主は、咎められたときは「これは4本爪であり龍ではない」と答えたと言われる。
和煦堂点春堂の南の和煦堂には、榕樹の家具が置かれている。いずれも200年前のものである。左右の置物は、左が麒麟、右が鳳凰である。
順路は和煦堂西の門を通る

