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主题:[原创]未来日記
回帖:外灘〔Wai Tan〕・バンド(1998年記。00年9月・02年9月・04年3月・05年8月改訂)



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黄浦江と蘇州河の合流点から南の金陵路までの中山東一路沿いの黄浦江西岸は、外灘(英語名:Bund(バンド))と呼ばれ、租界時代の上海の中心地であった。ここには当時の建築物が多く残っている。また黄浦江の対岸には、上海の中でも最も急速に発展しつつある浦東新区の中心である陸家嘴金融・貿易開発区の高層ビル群と上海のシンボル的存在の東方明珠タワーが望める。

黄浦江はさまざまな船が忙しく走り、時折聞こえる汽笛が雰囲気を盛り上げてくれる。夜はライトアップがなされ、1世紀近く前の建築物が幻想的に浮かび上がる。古い上海と新しい上海が一ヵ所に凝縮された外灘は上海一の観光スポットということができよう。

WHAT TO SEE ?

外灘はのんびりと散歩をするようなつもりで歩き、上海の雰囲気を味わおう。 まず外白渡橋―黄浦公園(Huang pu gong yuan)―黄浦江岸の遊歩道と歩いてみよう。



外白渡橋。奥には上海大廈が見える

外白渡橋は1907年の完成で解放前はガーデンブリッジと呼ばれた。租界時代にはこの橋より北側は日本人居住が多かった場所で、この橋を北側から南側へ渡ると一気に欧米的雰囲気の広がる地域に変わったという.。

この橋の下を流れるのは数年前まで汚染河川として悪名高かった蘇州河である。上海市はこの川の浄化を進め現在ではかなり改善された。

この橋から北側を見て左手の茶色のビルは1934年に完成で、現在は上海大廈(ホテル)、解放前はブロードェイ・マンションと呼ばれた。イギリス人の管理職が居住していたという。



青壁が美しいロシア総領事館

右手の青い建物はロシア総領事館。解放前もロシアが総領事館として利用していた建物である。解放前の日本総領事館もこの一画にあった(ロシア総領事館からやや東にいったところ)。

外灘の北端の黄浦江岸にある黄浦公園は、解放前はパブリックガーデンと呼ばれ、外国人専用であったという。



青空にそびえる人民英雄記念碑

この公園の中に中華人民共和国建設に貢献した人々を記念する人民英雄記念碑がたつ。人民英雄記念碑の建設は上海市人民政府により中国解放1年後である1950年に既に決められていたが、建設はなかなか開始されなかった。1987年に上海市人民大会で建設着手が決定され、デザインの公募等を経て、1994年に落成をみた。

人民英雄記念碑の真下には外灘歴史記念館と外灘奇石博物館がある。外灘歴史記念館には外灘の古い写真などが展示されている。ただし、2005年7月1日より数ヶ月間改装のためクローズされている。ここから黄浦江沿いの遊歩道を南下しよう。右手に並ぶ古いビルは、租界時代の建築物で、外観は当時そのままの姿を保っている。

左手の黄浦江は、上海市の中心を北(後方)へ流れ、長江と合流する長さ84kmの川。黄浦江の両岸及び長江岸の外高橋保税区岸が上海港と

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谢谢ウィザ-ドさん~

继续摸索。。。

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