落花有意、流水無情
レスリー・チャン主演の映画『金枝玉葉』だったかよく覚えていませんが、確か「極上のラブストーリー」というキャッチフレーズが書かれていたようだった。それをどこかで見た時、こんな意味あったっけ?と一瞬考えてしまいました。でも、これは宣伝用に都合よく解釈して捻り出されたものでしょうね。 なるほど金枝玉葉というセレブたちの恋愛だから、極上のラブストーリーとはいかにも説得力があります。 村上春樹は『翻訳夜話』に、翻訳作業は小説を書くほど難しいことではないと語っていました。私は翻訳者ではないのに、おこがましいことばかり言っていますが、しかし翻訳って、ある意味では原稿を書き起こすよりも骨の折れる仕事ではないでしょうか。作家ならうまく書けなければ売れないまでの話ですが、翻訳家は仕事が出来ないと原作者にまで迷惑をかけてしまいますもの。 中国語原書の訳文は、中国語の分かる人より、むしろまったく分からない人に読んでもらったほうが、出来具合の如何ほどかは一目瞭然かもしれません。原文の分かる読者だと、どうしてもここはこういうことを言おうとしているんだなと、訳者の不足分をカバーしようとする気持が無意識に働きます。従がって欠点難点があってもぼやけてしまうのではないでしょうか。 それを踏まえても、この翻訳は問題があると思ったならば、それはもう中国語の知らない人間が読む場合に至っては相当問題が大きいでしょう。 翻訳臭のする文章は苦手です。淀み一つなかったはずの流れがあちこち石にぶつかったり、せき止められたりして、滞ってしまうのを想像するだけでもあまり気持のよいものではありません。おまけにヘンな日本語を覚えさせられるのがオチですから、それよりやはり原文の自然な文章(美文かどうか別として少なくても文法上問題のない文章)がいいですね。 本一冊を翻訳するには並大抵の努力ではとても出来ることではないと分かっています。、それが出来るだけでもわれわれ素人より相当な腕を持っているに違いない。だけど原文を忠実に守ろうという想いが強すぎるのも良し悪しですね。守りすぎるとかえってぎこちない文章になってしまうことだってありますもの。 論文翻訳の場合、当然第一は正確に訳出しなければなりませんが、しかし文芸作品の場合はやはりある程度の美意識を備えないと、読むに堪えられる文章が作れないのではないでしょうか。 翻訳するには「信、達、雅」の三つが揃わなければ良い文章にならないとよく言われますが、忠実は簡単に出来ても「雅」に到達するにはやはりかなりの素養がないと難しいでしょう。逆にいうと、それを備え持っていないと立派な翻訳者になれないと思います。米原万里さんのような一流の通訳者が作家としても評価されたのはまさにその好例です。 下世話の本が趣味ではありませんが、一応中国関係だからブックオフから買って来たのは『毛沢東最後の女』(作者京夫子・中央公論社)という一冊。それが途中まで読んで放り出しました。なぜなら日本語を読んでいるのに、いとも簡単に原文に復元できるのですよね。あぁ、ここはきっとあの四字熟語だったわ、この箇所はおそらく漢詩だったのではないか、これは絶対誤訳に違いないわ、といった具合にこなれない翻訳のため読み進むほど原文が透けて見えて、はなはだ面白くなかった。 ま、蛇足ですが、一応私の感想を裏付けるためにこの本からいくつかの例を拾いました。 「子を育て、夫に仕える」、原文は多分「相夫教子」という由緒ある四字熟語だったと思う。それに較べると、「子を育て、夫に仕

