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主题:[原创]未来日記
回帖: 『魯迅与我七十年』著者 周海嬰 南海出版公司 邦訳 『わが父魯迅』集英社  最近、読書する時間がめっきり減ったため、以前読んだものばかり取り上げていますが、これは一読する価値のある本です。文豪魯迅の長男である周海嬰氏についての知識はほとんどうわさの域にとどまっていましたが、この本を読んだら、かなり好感が持てるようになりました。実直で謙虚で大きな心の持ち主に違いない。専業作家ではない技術者にしてはなかなか読み応えがある文章、そして何よりも魯迅をもっと知りたくなる一冊ですので、お勧めします。  魯迅の作品は、感覚の鋭い人ほど難しいと思います。深読みすれば翻訳はまともに出来なくなるかもしれません。でも案外読む側より、それらを書いたご本人は深く考えていなかったり、場合によってただの筆の誤りだってありえるようです。 海嬰氏のこの本にも書いてありますが、日本には魯迅の使った原稿用紙や便箋を研究する学者がいるらしい。どういう内容の文章に、どういう気持を表すために、それに合わせてどんな柄を使っていたとか。ところがそこにかなり海嬰のいたずら的要素が入っていたことは海嬰本人が明かすまで、あまり知られていなかったそうです。魯迅は子供の好みで選んでもらった紙を時々苦笑しながらも使っていた事が分かれば、魯迅の研究者達もかなりの軌道修正を余儀なくされるのではないでしょうか。 福岡に遊びに行ったとき、知人に地元の郷土歴史博物館を案内してもらいました。たしか薄い板状のものに彫り込まれた縦横の線が、心もち人間の形に似ていました。祭事に使われていたものといった説明が添えられていました。無論そうかもしれないけれども、しかし、もし大量に発見されたなら、証拠もかたいでしょうが、たまたま見つけた一枚ならどうして判断できるのでしょうか。子供のおままごとだった可能性だって否定できないのではないでしょうか。今一つ腑に落ちなかったのを憶えています。  魯迅の話に戻りますが、わたしは故郷シリーズ(勝手に名づけた)がわりと好きです。魯迅は少年時代をふり返った時、家の裏庭に「有両棵樹,一棵是棗樹、還有一棵也是棗樹」というくだりがあって、同じ棗樹だったら、二本あったと書けばいいのに、どうしてこんなまどろっこしい言い方をするんだろうと国語の先生に尋ねたら、それは見事に退屈さを表しているんだと教えてくれました。これには大変納得させられました。  魯迅は漢字を作ったことも有名です。これはもうわたしが思うにはピカソの絵みたいなもので、普通の人がやれば、なんだ!子供の落書きじゃないか、こんな字、ないよ。嘘字ではないかというものを大家が書いたものとなれば、値打ちがとたんに出るものですね。 それにしても周海嬰氏は正直な方だ。当時魯迅の周辺にいた共産党員とその支援者たちのことをいろいろ書いてありますが、株取引に夢中になったり、公金を使い込んだりと、人間臭くて面白い。中国で出版されたこの手の本には今まであまり書かれていなかった内容でした。当時の共産党と言えどもやはり同じ生身の人間だったんだな、と妙に納得しました。  岩波書店のかつての名物編集者小林勇氏のことにも触れていました。幸田文を読み進むうちに興味を持ち始めた一人で、露伴の編集者だったというこの人のことを知りたいと思いました。書店で調べただけですが、小林さんの書いた本は今はもうほとんど扱われていないようで、大変残念でした。魯迅とも接点を持っていたとはびっくりし、そして意外なところで再会したような嬉しい気持になりました。  魯迅に関する認識はおおよその中国人は多分わたしと同
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『囲城』にまつわるエピソード

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