中国最大の年中行事
「春節」の基礎知識(2)
爆竹
上海エリアでの2,008年春節の主な行事一覧
旧暦新暦(2008年度)解説大年夜(12月30日)2月6日大晦日に相当。夜はCCTVの歌番組『春節聯歓晩会』を観る人が多い。親戚で集って食事をする。夜は花火・爆竹。初一(1月1日)2月7日新年がスタート。初五(1月5日)2月11日「財神」を迎える。2月10日の夜から爆竹の嵐。初十五(1月15日)2月21日元宵節 このあたりから出稼ぎ労働者が続々と戻ってくる。この日も爆竹が鳴り響く。春節とは絶対切り離せないのが爆竹と花火だ。これがなければ、春節の雰囲気は全く盛り上がらない。
訳の分からない我々外国人にとってはとにかく「うるさい」ものなのだが、音をよく分析してみると、以下の2種類があることに気がつく。 一つは「高昇」とよばれる「ドン・パー」タイプで、筒の中のものが高く飛び上がる。こちらはお金が貯まりますようにという願いが込められている。 もう一つは燃やした後に真っ赤の紙が地面に残る長く連なった「ピリピリバリバリ」タイプの「大地紅」だ。別名「鞭炮」といわれるのは実は後者のタイプ。 ところで日本語で「爆竹」と書くのは何故か?もちろん中国語でもこう書くことがあるが、火薬が発明されてから、この爆竹をならす習慣があったわけではなく、実はその前から、古くは漢の時代から、除夕に爆竹を鳴らしていたという記録がある。 では何を燃やしていたか?漢字から分かるように、実は竹や松の枝を代用していた。パンパン音を発して燃える「爆竹」が、その時代の主流であった。そういえば、子供の頃に焚き火をして、竹を入れると爆発音が発生したのを思い出す。 古代の人々にとって、自然界は脅威で、様々な災難や、疾病から身を護るために、そして鬼や悪魔を追い払うために爆竹を鳴らすというのは、極めて厳粛な行為であるといえる。 魏晋の時代になると、道教の教えを守る道士たちが煉丹術を研究することにより不老長寿の薬を作ろうと励む。中国伝統医学(中医学)の発展とも深い関わりがあるが、この過程において化学が発達し、硝石、硫黄と炭を混ぜると火薬が作られることが発見され、宋の時代には麻の茎に火薬をつめた爆竹が作られるようになった。これはいわゆる「爆竹」よりも威力があり、音が大きいため、たちまち普及し、「鞭炮」と呼ばれるようになった。
写真は江西省の三清山の道教のお寺と道教への信仰。
南宋の時代になると、紙に巻かれた爆竹も登場する。この時代には、市民に普及するようになり、店などで爆竹を売るようになった。また社会の発展にともない爆竹を鳴らす意義も変わってきた。魔よけというよりも、神様の下界への御来臨を歓迎する喜ばしい意味合いに変わってきている。旧暦に1月5日(初5)に「財神」を迎えるために爆竹を鳴らすのなども典型的といる。 また賑やか、華やかさを好む中華民族の文化の特色と融合して、今では一種のセレモニーとして、家族が集まって欠かせない風習の一つになっている。それでも新居に移ってよくないことが続いたりすると、「爆竹を鳴らすのが足りなかったからなのか?」と呟く上海人も

