特集:上海新地下鉄
陥没事故から4年、完全復活した上海地下鉄4号線
SARSの流行でものものしかった2003年7月1日、上海地下鉄4号線の南浦大橋駅と塘橋駅の間の浦西エリア董家渡付近で大規模な陥没事故が発生し、工事が全面的にストップした。結局、2005年末の開通には間に合わず、地下鉄4号線はC字型運転を余儀なくされた。あれから4年の歳月が過ぎ、2007年12月についに上海地下鉄4号線の環状運転が実現した。
●掘り直しをせずに修復を選ぶ
地下鉄の工事には、こうした陥没事故が珍しくない。とくに、上海のような一時は地下鉄建設が無理だとレッテルが貼られたほどの地盤では、その危険性は極めて高い。事故当初、トンネルには大量の土砂と水が流れ込み、応急処置が終わるまで2週間の時間がかかったという。さらに、現場付近の建物が傾き上海の地下鉄史上、未曾有の被害となった。
この現場をどのように修復させるか、それから専門家による1年あまりの討論が続けられることになった。特に、現場付近には南浦大橋の登り口があり、地下構造が非常に複雑であるほか、黄浦江の沿岸で地盤が弱く、近くには高層建築物や旧市街が広がっており、とてもルートを変えて堀直すことはほぼ不可能だった。さらに、ルートを変えてしまうと、立ち退きの問題が発生するほか、路線のカーブが大きくなり運行に支障が出る可能性もある。そこであえて選ばれたのが、もともと掘り進めたトンネルを再び修復する方法が決断された。トンネル陥没事故の修復としてはかなり異例の方法だった。
しかし、修復といっても事故の範囲がはっきりとせず、地下障害物の問題も大きかった。地下鉄4号線トンネルの南側には臨江大厦など4つのビルがそびえ、北側にも3つのビル、さらに東側には黄浦江の堤防、西側には南浦大橋の登り口があり、この間を掘削していくことになった。技術者たちは、幅22.5メートル、深さ41.5メートルの巨大な溝を掘り、さらにその周りに深さ65メートルの壁を作ることで、付近の建物の影響を最小限に抑えることに成功した。その後の調査でも、建物の地盤沈下は2センチ~3センチに留まっているという。
その後、実際に修復されたトンネルは臨江大厦の地下室をかすめ、南浦大橋のインター入り口からはたった50センチの距離で、かつ黄浦江下60メートルのところを走っているという。

