山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角(が立つ。情に棹()させば流される。意地を通せば(窮屈)だ。とかくに人の世は住みにくい。
(一行省略)
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
<夏目漱石 草枕冒頭より>
本当に名言ですね。漱石は素晴らしい。以下是引用诸行无常在2007-9-6 8:37:00的发言:
古色蒼然、旧態依然、崩壊寸前
私が、诸行无常を連想する言葉です。
消え行くもの・・ 滅び去るもの・・ 朽ち果てるもの・・・
永遠という言葉はあるけど、物質的な永遠はなにもない!
精神的な永遠はどうなんでしょうか?
以下是引用suzumenoko在2007-9-6 10:49:00的发言:
「諸行無常」と聞くと、私は、「生まれ繁栄し衰退し消える、また生まれ繁栄し、また消える、その繰り返し」というイメージを思い浮かべます。
すべては変化し、消え去る運命にあるけれど、そういう変化は人が変わり世が変われど、同じように繰り返される。
個々の事物を見ると、すべてのものは 「消え行くもの・・ 滅び去るもの・・ 朽ち果てるもの・・・」だけれども、それらが繰り返されるという
自然の摂理は永遠に続く、と私は解釈しています。
永遠の繰り返し、永遠の継続・・・
以下是引用诸行无常2007-9-7 9:53:00suzumenokoさんの、仰るとおりでおじゃりまする~~狭き見識や「永遠の繰り返し、永遠の継続・・・」の中で、ほんの一部にしか関わってないので、身の回りの事しか見えてませんね~~(身の回りも、ちゃんと見えてないのかも・・・・ )
自分の記憶は現世限りなので、あんな話をいたしました~~ 阿弥陀仏~~~
ほんの一瞬の時・時間は中国語で 刹那的时间 かな?
诸行无常さんへ
いえいえ、偉そうなことを言ってしまいましたが、私も普段は自分のことしか考えてません。
そう思えればいいなあ、っていう希望です。
そう思えば死ぬのが怖くないかなって・・・。
自分の記憶は現世限り --- おっしゃるとおりです。だから死ぬのがすごく怖い。
この「私」の肉体はやっぱり、「消え行くもの・・ 滅び去るもの・・ 朽ち果てるもの・・・」に過ぎませんものね。
余談ですが、だから、皆、自分の子供が可愛いし、子供に期待するのかも。私を継続してくれるものとして。
子供のいない私は、それこそ一世代限り。

