2007-5-16 晴れる 20-28度
今日は朝5時から午後4時まで寝ました。起きた後、自分に朝ご飯を作りました。
三つパンを焼いた、バターをつけた、目玉焼きとレタスとトマトとハムを挟んだサンドイッチを作りました。
それから、また自分に一杯の牛乳を注しました。
健康な朝食は人によい気分を齎せますから。
初夏の太陽の下に座ってパンを齧る時は、ある幸福で、真実に生きている感じでした。
......
今日は出かけた時は、一人のお爺さんに会いました。
皺だらけの顔は長年に置いているリンゴの如く深い歳月の痕跡を残りました。
私にお祖父ちゃんの事を思い出しました。。
……
お祖父ちゃんは多年前になくなりましたが、もう長い時間にお祖父ちゃんが見えませんでした。
少しも悲しくなかったです。ただ懐かしく感じだけでした。。
お久しぶりに別れた友達の如く、
故郷のドアの前の一本ポプラ(白楊樹)の如く、
子供の時によく行ったある隅のように思念していました。
ある見えません、過去に戻れない感じでした。。
もしかしたら、これは死亡ですか?
N年の熟睡した如く、ある時間に蘇って来るかも知れませんです。
私は知らない、或いはもう存在していなかったある時間、空間にいるのか?
死亡というのは、ただ百年の熟睡だけかもしれませんです。
しかし、
われわれにとって、百年の熟睡は、死亡に比べて、また何か区別がありますか?
ひいては、
ある瞬間で、ある考えを浮かびました。
或いは、
お祖父ちゃんはもう生まれ変わりで、ある可愛いお坊ちゃんになるかもしれませんです。
或いはその後は彼にまたお会いましたが、ただ永遠に知れなくなるだけでした。
... ...
どんなに面白い妄想でした。私に突然に生活に感激の籠(こ)もりました。
それらの擦れ違った、もう戻れなくなる物は、彼らはただ眠っている、長く時間に寝るだけです。
それらのすれ間違った人は、彼らはただ遠いところに行っただけです。
もしかしたら、ある日で、 私たちは町で会いました。
その時は、そっとに「あは~?あなたもここにいてるの?」と言うだけ十分であります。
それらの失った物を再びお会う時に長く時間を経った後です。
こんな短く数十年で、もう見えなくなるかもしれませんです。
多少残念ですけど。。悲しくなくなりました。。
2007-5-16 晴れ 20-28度
今日は朝5時から午後4時まで寝てました。
起床後、朝ご飯を作りました。
パンを三枚焼きバターを塗って、目玉焼きとレタスとトマトとハムを挟んだサンドイッチを作りました。
それに、コップに一杯の牛乳を注ぎました。
健康的な朝食は、よい気分を齎しますからね!
初夏の太陽の下に座ってパンを齧る時、ある意味幸福で生きている実感を満喫しました。
......
今日、出かけた時、一人のお爺さんに会いました。
皺だらけの顔は長年置いているリンゴの如く深い歳月の痕跡が残っています。
私はお祖父ちゃんの事を思い出しました。。
お祖父ちゃんは随分前になくなったので、もう長い時間お祖父ちゃんを思い出しませんでした。
少しも悲しく、ただ懐かしく感じだけでした。。
お久しぶりに別れた友達の如く