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主题:指宿温泉(中日对照)
萧夕雨发表于 2011-01-30 16:49
指宿温泉(いぶすきおんせん)は、鹿児島県指宿市東部(旧国薩摩国
)にある摺ヶ浜温泉(砂蒸しで有名)、弥次ヶ湯温泉、二月田温泉な
どの温泉群の総称。鹿児島県内有数の観光地であり、2003年(平成15
年)において年間285万人の観光客が訪れ、91万人の宿泊客を集めて
いる。農業や養殖などへの温泉利用も盛んであり、温泉の9割が産業
利用されていた時期もあった。また、昭和35年頃から始まったハネム
ーンブームの中、「東洋のハワイ」と呼ばれた指宿温泉は、そのメッ
カとして賑わい現在に至る。
指宿温泉位于鹿儿岛县指宿市,是摺浜温泉(因沙蒸有名)、弥次汤温
泉、二月温泉等温泉群总称。是鹿儿岛县内可数的观光地,2003年(平
成15年)当年有285万游客来访,91万住宿客。此外温泉也被广泛利用
于农业、养殖等方面,也有90%的温泉用于产业的时候。从昭和35年左
右开始的繁荣时期被称为“东洋夏威夷”的指宿温泉作为中心之地繁荣
至今。

泉質
泉质
泉質はおおむねナトリウム-塩化物泉であるが地域や掘削深度によっ
て塩分濃度や微量成分が異なる。活動泉源はおおむね500カ所。一日
あたりの総湧出量は約12万トン。湧出温度は50-60℃が多いが、100℃
に達するものもある。温泉の水源は池田湖や鰻池に溜まった雨水と鹿
児島湾からの海水が地下で混合したものであり、熱源は阿多カルデラ
に関連したマグマであると考えられている。
泉质大部分是钠-氯化物泉,但是由于地域和挖掘深地的不同,盐分浓
度和微量成分也不同。活动泉源大概500所。每天涌出量约12万吨。涌
出温度50-60℃,也有达到100℃的时候。温泉水源是池田湖和漫池蓄有
的雨水和鹿儿岛湾海水在地下混合而成的,热源和阿多火山口的岩浆有
关。
温泉街
特に砂むしで有名な摺ヶ浜付近に大規模な宿泊施設が集中している。
温泉街
特别是在因沙蒸有名的摺浜附近聚集着着大规模的住宿设施。
歴史
历史
「指宿」の名称は「湯豊宿」に由来すると言われているが別の説もあ
る。江戸時代以前は高温の温泉や噴気口が点在する湿原であり危険な
場所とされていたが、麻の加熱処理や炊事用、浴用として古くから利
用されていた。江戸時代後期の地誌『三国名勝図会』にも多くの温泉
が紹介されている。
据说“指宿”之名源于“汤丰宿”,也有其他说法。江户时代之前,是
散布着高温温泉和喷气口的湿地,被认为是危险场所,但是自古就作为
麻加热处理和炊事、洗浴用。江户时代后期地志“三国名胜图会”中介
绍了很多的温泉。
明治以前は自然に湧出する泉源を利用するのみであったが、地面を数
m掘削することにより容易に温泉が得られることから広範囲にわたっ
て開発が進められた。特に1919年(大正8年)頃から1955年(昭和30
年)頃にかけて温泉熱を農業や製塩に利用するために地下から大量の
湯がくみ上げられ、古くから使われている泉源の枯渇や温度低下など
の問題が多発した。このため新たな温泉源の探索が行われ、1957年(
昭和32年)に地下200-300mの新たな温泉地層が発見され利用されるよ
うになった。1964年(昭和39年)以降、温泉の製塩への利用は禁止さ
れているが、農業や魚の養殖への利用は現在も行われている。
明治以前只利用自然涌出的泉源,因为挖地数m就能够轻易地出来温泉
,所以温泉开发范围广。特别是从1919年(大正8年)到1955年(昭和
30年)左右,为了将温泉热用于农业和制盐方面,从地下挖掘了大量的
热水,

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